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東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

三浦 寛(みうら ひろし)

満ち引きと進歩

私は50年の臨床の学び、実践の中で大きな転換期を3度、4度となく引き込んでいる。そのたびに人の流れが変わる(患者の流れが大きくかわる) 臨床の問いかけが変わる(変える)ごとに潮の満ち引きのように患者がとだえる。そしてまた新たな患者が集うようにあ…

歓びの声

まばたきする間の変化ということが臨床の中で日常的にあたりまえのようにおこっている。 それは私にとってはからだの歓びの声にきこえてくる。 からだの声にこたえられるということは、私自身の身心もさわやかで、きもちのよいものである。 一瞬一瞬にからだ…

必ずおとずれる

だが…それは静かに、着実に歩み寄ってくる。 もしくは、予想を裏切るように突然やってくる。 それは、ひとりとして例外はなく、いつか必ず対面する。 あろうことか、本人も知らないうちにやってくる。 それが、死。 死を意識すれば、人の生は否応なく正解を…

学び続けているということ

私は私の時代を生きている。 操体の学びもこの世のご縁とつながりの中で、生まれ、育ったもの。 その感性に導かれるままに、自ら熱く、自ら歩みはじめた。 学びの中で、異なる景色がみえはじめ、みえたものが実るように励んできた。 その姿をみて、冷やかし…

意志が導く

ことには、ことのはじまりがある。 なんでも「最初の決心」が一番重要だ。 それが、どこまでもついてまわる。 たとえば名誉とか、利益のためにはじめたことは、やればやるほど欲が透けて見えてしまう。 いくら豊かな知識でも、いくらすばらしい言葉で飾った…

喜んでやる

学んでいるなかで、その都度、やっておかねばならないことが必ずあるなら、それは誰かがやらなければならない。 もし、誰もやらないのなら、喜んで自分がやることだ。 しかし、誰もやらないということは、腹の底からの覚悟がいる。 大変だから誰も手をつけた…

自分と向き合う

今日から7日間、三浦が担当します。 よろしくお願いします。 自分にとって最もつまらぬことは、自分との約束を破ることです。 自分の美学を破ってしまったら、一体、誰に向かってつぐなえますか。 人が本来、備えている力を本気という。 お前は、本気で生き…

その先に まだ何かがある

松岡正剛先生の言葉に 「わかる」とは「変わる」ことで、 「わかったこと」が変化することだと… 私はその言葉をとても大切にしている。 「わかった」からといって それで終わりということではなく、 始まりなんだネ。 「わかる」ということが「かわる」とい…

新たに 生かせる 時代

今まで50年間、 読み取ってきた操体の景色が 一瞬に別の景色に様変わりしてしまった。 これだけ様変わりする展開をみていると、 学んできたことの筋道が明晰に捉えることができる。 よりあきらかに、クリアに、 スッキリ展望できるようになった。 ありのま…

よくばり

味わい尽くそうとして、 甘さ、辛さ、酸っぱさ、塩辛さをいっぺんに口にしたところで、 かえって味わい尽くせない。 全てを聞き取ろうとして一度に五つの音(声)を聞こうとしても 聞き取れるものではない。 学びもそうだと思う。 内なるものを大切に目に見…

赤ん坊

精気に満ち満ちているとはどういうことだろう。 赤ん坊はセックスのセの字も知らぬのに おチンチンは、ピーンと上を向いている。 まだ骨も弱く、筋力もないのにそれでも、ギュと握ってくる。 一日中泣き叫んでも、声が枯れることはない。 なぜだろう。 生命…

老子

玄同とは、なかなか気安く近づけない。 かといって、むげに遠ざけ、よそよそしくもできない。 利益を与えることもできない。 危害を加えることもできない。 拝むこともできなければ、蔑むこともできない。 だからこそ価値を超えた価値がある。

日常

あえて、あえて、困難や苦労に直面しないで済む生き方があるという。 それは、ことにあたり(1日の生き方)用心深く、 小さなことから真剣に取り組むことだというのだ。 安易に取りかかる人ほど面倒なことを起こす。 安請け合いをするから失敗する。信用され…

8の日

今日から七日間、三浦が担当いたします。 今年もよろしくお願いいたします。 一年のはじめにブログが巡ってくるというのも、ありがたいご縁です。昨年はアッという間でした。「ッ」まで伸ばせぬほど、「ア」でした。 年の初めに目標を立てるということは、 …

バランス

個人レッスンの中で なぜ心臓が左右にあっては不都合なのだろうか? と私は問いかける。 心臓が一つ、オチンチンが一つであることが、非対称性であることだ。 二つある臓器、それは全体丸ごととしてとらえれば、非対称性のバランスなのである。 2016年11月23…

野次馬

「わかる」と、「ただわかった」だけでは気がすまない性分である。 わかった先に何があるのか?と野次馬になるからだ。 そこに「変わる」という変化がおとずれる。 その野次馬は、変わるごとに新たな気づきをつかんでいく。 その野次馬は、その変化を、生涯…

変化

ヘーゲルもダーウィンも指摘している。 「現在の知識は、新しい知見によって必ず修正される」 その基準となる前提が変われば、当然のごとく結論も変わってくる。 つまり人間は「正しいことはわからない」 人間は正しいことを正しいと思うのではなく 現在の知…

自罪

構築されてしまった妄想は おかしなことであっても正統化してしまう。 不可解な矛盾を生み出し、学びを妨げる。 それに気づいても、曖昧にしておくことは 自分が招く自罪である。 2016年11月23日(水)勤労感謝の日 秋季東京操体フォーラム開催! 今季のテー…

自由

一般的に常識化されてしまったものの中には 妄想的な固定観念で塗りつぶされているものもある。 つまり人間の知識というものは 「現在の知識」でものを考えるということである。 なにか腑に落ちない、辻褄が合わないと見破る洞察力が必要である。 己の心を自…

本質

学びの中で 何か不可解だ? 矛盾に気づいたとき はじめて、もの、こと、なりの本質(正体)がみえてくる。 2016年11月23日(水)勤労感謝の日 秋季東京操体フォーラム開催! 今季のテーマは「膝と進化した操体」です

せいめい

今週は三浦が担当いたします。 よろしくお願いいたします。 せいめい現象とは 息をとめつづけていることも 息を吐きつづけていることも 息を吸いつづけていることも せかせかと吸ったり吐いたりすることもできない。 その結果、 発狂するか 意識を失うか 絶…

豊かな感性

(19)動軸をどこに定めるか それによって、同じ動きにみえても全身形態の連動が、がらりとかわる その識別ができることが感性である (20)右視線と左目線の違いが認識できることは、豊かな感性である (21)胸椎12を境にして、動軸と安定軸の識別…

平等に与えられている

(16)安定とは感性の豊かさである (17)己自身の生き方が、からだに評価されること それが豊かな感性である (18)豊かな感性を育てるには、自己否定しないことである 一人ひとり平等に与えられている1日24時間をどう生かしていくか。 生かす間には…

無意識への感知

(13)感性とは、君が生きている間のことである 一瞬一瞬が感性である (14)感性は、自分自身のものだ いのちである (15)感性とは細胞である 60兆~80兆の細胞感覚 空間認識へのアプローチは、からだの無意識への感知脳(能)が必要である。

かみくだく

(10)感性も自分のなかで呼吸している存在である (11)そっくり、そのまま、コピーしても、それはただコピーしただけのことである 自分でかみくだかなければ、生きてこない それが感性というものである (12)感性とは自分を絶対的な肯定でみていく…

平穏無事

(7)感性とは、からだの要求であり、からだの無意識の声である (8)からだの地形を、皮膚を介して診る。これも豊かな感性である (9)自分を肯定するも否定するも本人の感性である 一日、一日、平穏無事に過ごせる豊かさに感謝する。 「平穏無事」とい…

50年の学び

(4)皮膚からのメッセージを皮膚へのアプローチとして生かしていくことも、豊かな感性である (5)重心づくりは、アートである 重心づくりのアーチストになれこれも豊かな感性である (6)感性とは、身(からだ)をとおさぬとわからないことである それ…

ここにいていいんだなア〜

今日から、一週間三浦が担当します。よろしくお願いいたします。 今回は「感性」について書いていく。思いつくままに、1日、3・4題、自分の思いを書き添えてみたいと思う。 (1)人格と才能の開花、人間性の開花も感性である (2)使命感は、感性が育て…

ヨチヨチ ハイハイ

赤ん坊は、いきなり立っては歩かない。 ヨチヨチ、ハイハイの過程を踏んで、立つのである。 手と足をつかう。ならば重心軸となりえるものが腕にもあるのではないか?と捉えていくこと(創造・発想)ができる。 創造・発想の展開は、ただ学んでいるだけの人と…

タメラウコトナク

“わかる”ってことは、 “かわる”ってこと。 つまり、“変化”することである。 変化することは、破壊することだ。 学問には、必ず、仮説を立てていくことが条件となる。 仮説のない学問は、存在しない。仮説のなかで、理論を展開していく。 その定義、定説のな…

スモール ステップ

ヨナ・コンプレックスとは、手を伸ばせば、夢に(夢が)届くのに 不安を覚え、躊躇してしまうこと。 どうすれば克服しうるのか。 恐怖を覚えないように少しずつ、変えていくこと。 これをスモールステップという。 2016年9月[ 新創生期操体法特別臨床講座](h…

シンノリカイ

信頼関係とは、まず自己との信頼関係を育てていくことだ。 自己との信頼関係をどう育てるか。 己をいつわらないこと ウソをつかないこと 自分に言い訳しないこと 言い訳をしてごまかさないこと 自己に対して危機管理をもつこと メメント・モリ である。 2016…

ソシキ

2016年9月[ 新創生期操体法特別臨床講座](http://www.sotai-miura.com/?page_id=1018) 開講! 「赤信号、みんなで渡れば、こわくない」と放言する人がいるが、 そういう人たちは、何かあっても、けっして、責任をとることはない。 「君子は和して同ぜず 小人…

トビラ

自分の感性の扉を開いておけ。 開いておかないと、自己判断ができない。 成長とは、自己判断の強化に他ならない。 組織はその上で、まとまっていけばいい。 組織のなかで、自分にしかできない持ち味を出す。 2016年9月[ 新創生期操体法特別臨床講座](http://…

イキトドク

今日から一週間担当します、三浦です。 よろしくお願いいたします。 〇〇バカになるな。 オールラウンドプレーヤーをめざせ。 品性、品格を磨け。これがウマイ、ヘタである。 人として、いきとどく、スベを磨け。 2016年9月[ 新創生期操体法特別臨床講座](ht…

7日目

「鵞足」 左膝の内側を重心軸としてとらえて診ると、その内側とは、どの位置で、どの部位に相当するのか?興味深いところだ。膝蓋骨より内側の脛骨骨頭のスグそばにガソクがある。このガソクを調べてみると、「ここが重心軸だよ」と判断しうる材料がそろって…

6日目

近日わかったことは、皮膚も非対称性のバランス感覚なんだなア〜ということだ。よく僕が皮膚への問いかけで「接触」と「刺激」について話をするけれど、その中で「皮膚のアソビ」と口にするだろう?この「接触」と「刺激」のスキ間の非対称性が、わかってき…

5日目

「非対称性のバランス感覚」 すべての現象物(ヒト、人間)は、非対称性である。地球(地軸)だって23,4度の傾きがあって成り立っているから、この大宇宙だって、非対称性のバランスで調和がとれているのかもしれない。(かもではなく、私はそう思う。) 近…

4日目

今、編集しているのは、身体運動のコアなところ、「般若身経」の改定である。かなりしつこく書き込んでいるので、斬新で、興味のある方にとっては、橋本先生からの最良のご褒美になるんじゃないかと思うよ。 編集が完成したら、「新般若身経」として公表しま…

3日目

「マヒトツの真時」 これは私の時空間のこと。 私のやるべきことをやる、時間のことである。 今、私のやることをやる。 今、何をやっているのかだが、定義、定説がくつがえった後の、新たな編集をしている。1月、秋保郷の塩沼大阿闍梨さまにお会いした時か…

2日目

わかったからといって妥協してしまえば、それっきりのことだよ。 わかった先には、深い、深い妙理がある。それを味わわずして、わかったなんて、私ごとの趣味にすぎない。あさはか(浅学)すぎるんだよ。ただ学んでいるだけに過ぎないんだよ。ただ学んでいる…

1日目

本日から一週間、三浦が担当します。よろしくお願いいたします。 先日、新宿高島屋で「インタースコア」の公開講座があるということで、チケットを求め、足を運ぶことにした。松岡氏×田中氏×佐々木氏の対談である。僕がこのような「ば」にいるってことが、過…

最終日

陰と陽とは、性相の異差である。 陰と陽は、メンズマスターとレディーオナーである。 陰と陽とは、男女のヒトづくりである。 陰と陽とは、ギブ アンド ギブ アンド ギブである。

六日目

陰と陽は、ヒトから数えて第六の天である。 陰と陽とは、ノミのフンとオシッコである。 陰と陽とは、細胞の発酵と腐敗であり、死生である。 陰と陽とは、根の木の元気イサキである。

五日目

陰と陽とは、感と謝である。 陰と陽とは、生命現象のはからいごとである。 陰と陽とは、上昇、下降の環である。

四日目

陰と陽とは、重力と重心のバランスである。 陰と陽とは、歪みと不正の相対である。 陰と陽とは、潜象の診立てと現象の診立てである。 陰と陽とは中重の対称ではなく、左重の非対称である。 陰と陽とは、波動の量と質の回転である。

三日目

陰と陽とは、性エネルギーと生エネルギーの対象である。 陰と陽とは、(-)(+)未分の一なる対極の意思であり、愛と調和の発動である。 陰と陽とは、陰 極まれば 陽、陽 極まれば 陰、 見えざるものの如きである。

二日目

陰と陽とは、ものことなりの非対象性である。 陰と陽とは、主体と対称の調和である。 陰と陽とは、あからさまのまんまの影である。 陰と陽とは、無双相似である。

初日

ブログがスタートします。 テーマが「陰と陽」ということでした。 余り難しくとらえてもつまらないので、くだいた文章も残しておきました。 中にはそれはどうかなと思える点もあろうかと思いますが、ナルホドと思えることもあるでしょう。 「どうかな、なぜ…

七日目。

操体と操体法は、 愛のキャッチングボールである。「愛」とは「調和」であり、調和の「総体」(そうたい)は 「快」である。快は拡張のリズムであり、不快は収縮のリズムであり、 生命の恒常性のバランスである。生命の力、とはこの波動である、 この波動は…