東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

岡村郁生(おかむらいくお)

生き方の自然法則って?⑦

(続き) 「息・食・動・想・環」が、「生き方の自然法則」となるのであれば、 「想念」に受け入れる「意識」、言葉の使い方・捉え方、運命のハンドル。 大切なのが「大脳新皮質」であると、自覚できない偏りがあるならば、 そこに気付けば「生き方の自然法…

生き方の自然法則って?⑥

(続き) 仮に、大脳新皮質の脳と、それ以外の脳に、それぞれ意識があるとした場合。 「大脳新皮質」主体の場合は感覚的に、 「息・食・動・想」そして「環境」は、個体における外界の適応において、 意識・信念・心のような、「精神活動」で対応しやすくな…

生き方の自然法則って?⑤

(続き) 「生き方の自然法則」 それは、「息・食・動・想・環」 呼吸すること、食事をとること、体を動かすこと、思ったり念じたり、 考えたりすること、それからそれらを包んでいる環境のこと。 これら全て、瞬間瞬間で、同じようにそれぞれ関係し合い、そ…

生き方の自然法則って?④

(続き) 橋本敬三先生がいらっしゃった温古堂。 実際にご縁があった皆様や、患者様も少しずつ年齢を経た今は、 当然、時の流れを受けて、重ねて、高齢化してきている。 循環していれば変化して当然。 その都度の変化を受け、更に熟成して、透きとおっている…

生き方の自然法則って?③

(続き) 生命現象とは法則性。 流れている代謝。動いている細胞。 機能を持つ組織。識別しうる意識。 多種多様な変化、変性・変容も受け入れる法則性。 「生き方の自然法則」=「息・食・動・想・環」。 様々な時代に流れは生まれて、そして継承され練り上…

生き方の自然法則って?②

(続き) 橋本敬三先生の語られていた昭和時代。 「息・食・動・想・環」合わせて5つの「生き方の自然法則」は、 継続して循環している「同時相関相補性」を具現化しているんですよ。 本を読んだから知っている、実際にやってもらって知っている等々も、 一…

生き方の自然法則って?①

「操体」を「自由なテーマ」でブログを担当する、茅ヶ崎在住の岡村です。 一週間どうぞ、よろしくお願い致します。 「操体・操体法」のことを、初心に返って考えてみると、 興味の内容により、操体法の印象は人によって異なるかもしれません。 なかでも「生…

からだからのメッセージ⑦

宇宙と地球から感じとる、「からだからのメッセージ」。 大袈裟ではなく、それを可能とする「超エネルギー」はあるんですよね。 今後の宇宙実験において、研究あれている注目したい事実がありました。 宇宙に打ち上げて、または無重力環境に近い条件下におい…

からだからのメッセージ⑥

「からだからのメッセージ」を聴いているのか、いないのか。 統計を出して頂けると嬉しいと願いつつ、日本人は長寿国になりました。 2023年度中に100歳になる人は4万7107人。 女性の最高齢は、明治40年生まれの116歳。 男性は明治44年生まれの111歳。 医療や…

からだからのメッセージ⑤

脳神経専門の方が教えてくれたこと。 30年前は、脳卒中専門のリハビリ病院で、麻痺症状が改善すると伝え ること自体がタブーの時代だったそうです。 でも、「Nature」の論文に、実は、脳神経細胞も分裂して、新生を起 こしているのである、と画期的な発表が…

からだからのメッセージ④

(③からつづく) では、「からだからのメッセージ」を聴いて眠りを導いていく方法と、 一般的に睡眠の補助として服用される方の多い「お薬」との違いなど、 割と多く見られる睡眠導入剤(睡眠薬)の服用はどうなのでしょう。 『夜になったら寝るのが当然』と…

からだからのメッセージ③

(②から続く) そもそも睡眠時間や、睡眠に適した時間帯に、絶対はありません。 「睡眠とは個性である」と語る、睡眠学会の専門家の言葉もあります。 眠ることは、眠くなる理由があるのです。 研究論文によれば、睡眠に関わっているとされる神経シナプスに吸…

からだからのメッセージ②

(①から続く) 「ウッカリして寝ちゃいました」では通用しないこともあります。 人に迷惑を掛けてしまう時、眠くなってしまったからでは困るのです。 運転中であれば、目を閉じてしまい事故を起こしたりするケースもあり、 実際に「ナルコレプシー(過睡眠)…

からだからのメッセージ①

今週1週間担当する岡村です。 どうぞよろしくお願いいたします。テーマは「からだからのメッセージ」となります。 まずは、からだからのメッセージの一つでもある、眠くなってしまう 現象について考察しますので、しばらくお付き合い下さい。 睡眠とは、不思…

まるごと「操体」⑦

<エピソード⑯> (「食」に関して) トルストイが、 「この世に屠殺場があるかぎり、戦場はなくならない」と、言ってるんだよな。 ただ、本当に「青汁」だけで生きていける人は、いるの? <エピソード⑰> 葛藤。 その都度回答したり、悩んだりしなくてもよ…

まるごと「操体」⑥

<エピソード⑬> 水の中の気付き。 愛は直線でとおる。 感謝、ありがとうは、末広がりでとおる。 全体一体の円、数珠。 <エピソード⑭> 生命は生命相、水分としての構成にも命(いのち)があり、 命(いのち)があるから言葉に反応するんだろう。 言葉は命…

まるごと「操体」⑤

<エピソード⑩> 石の上にも3年。 一万時間は1つのことを学ぶ。後は辞めないことである。 学ぶことをやめないことだよ。 学び続けているのであれば、必ず試されている時期が来る。 これは、必ず来る。 来た時に、うかうか乗るなよ。 乗ってしまえば、先は見…

まるごと「操体」④

<エピソード⑦> 「救い」=「太極の意志」 生かさせてくれている命(いのち)に対して、 意識を向けなさい。 もともと、そのような身分からなる命(いのち)なんだから。 <エピソード⑧> 無量の法とは、全てに生かされている方のこと。 自然法則とは、太極…

まるごと「操体」③

<エピソード⑤> 自分ができる臨床とは、次元を超えていく臨床にある。 不可視な現象とは、次元を越えようということである。 操体の学びは、 可視と不可視の現象のものを反発し合う傾向があっても、 両方入って生かすことができる。 「花は心、種は枝」。 …

まるごと「操体」②

<エピソード③> あのね。 やっていることが繋げて、繋がっているのかな、ということなんだよ。 命(いのち)、あの世、橋本敬三先生とね、 つながっていることを感じ取れるか、どうかなのだよ。 あの世とこの世はつながっているのだけれど、 自分の中で境界…

まるごと「操体」①

今週からブログのテーマは「まるごと操体」になりまして、 一週間担当する岡村です、よろしくどうぞ。 早速ですが、「操体」の個人レッスンを私自身学び直してみると、 三浦理事長から習っていた記録より、印象的な言葉をいただいていたので、 これを「まる…

触れる⑦

操体の臨床とは「触れる」こと。 目に見えるものだけではない。 目に見えないミッシングリンクを感じる。 例えば、大気や重力の関係。 私たちは、それから離れることはできない。 食べていても。 呼吸していても。 動かしていても。 考えていても、それに触…

触れる⑥

「操体」の臨床において。 ボディーの歪みは、絶対性のものと相対性のもので識別できる。 重心の適正なポジションを決め、触れているから、識別できる。 重心の適正が成されたポジションは、自然そのものに『触れ』ている。 まずは、刺激にならないように。 …

ふれる⑤

「ヒカガミ」。 「ひかがみ」と言われる膝裏の部位は、 「操体」の臨床を行う前の、触診において重要な意味を持つ。 「操体法」を習うのならば、必須の触診となっている。 触診は大切であり、「動診」に繋がっている。 ここにも静力学的な捉え方と、動力学的…

ふれる④

皮膚に触れている。 皮膚を意識しているか。 操体の臨床においても、当然のように触れている。 皮膚に触れているなら、皮膚常在菌にも触れている。 そして、 触れられた常在菌由来の物質は、皮膚の様々な代謝を調節して、 恒常性の維持ホメオスタシスに貢献…

触れる③

「操体」を生活で生かせる。 「操体」の意識者も、健康増進につながる。 「操体の臨床」においては、 相手だけでなく、操者自身も健康になっていく。 触れるのは、何かを感じるためならば、 ほとんどの場合、皮膚を介して触れている。 私たちが感じるもの、…

触れる②

「操体」の臨床において。 「触れる」のは、一体なんなのでしょうか。 ボディーのヒズミ。 ボディーのユガミ。 その象徴である「ヒカガミ」と称されし、膝のうら。 筋骨格横紋筋運動系の、主たる経路に触れる。 皮膚体壁内臓系の、主たる経路に触れる。 脳脊…

ふれる①

今回のテーマは「触れる」となりました。 一週間を担当する岡村です。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 現在も学び続ける「操体」において、いったい、 ワタシは、何に触れたいのだろう、と考えました。 朝、目覚めし時。 「アッ原始感覚は、〇〇の変化…

何のために学んでいるか⑦

(続きのまとめ) 自分自身が問いを立てる練習をすることです。 そして、その問いに答える練習を積み重ねていくことです。 積み重ねてきた力は生きる姿勢を養います。 それは「操体」を学ぶために欠かせないことの1つだと思っています。 探求すること。 探求…

何のために学んでいるか⑥

(続き) 今ある手持ちの知識や、手持ちの発想でつくる仮の答えは、 当然ながら不完全なものしか出来ません。 自分自身が持っていないもの。 つまり、操体の知識、操体の情報、操体の理解の、 その本質、所在に気付くことさえできれば、 それを埋めたくなり…