東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

日下和夫(くさかかずお)

「ミタテ」の考察⑦

ある本を読んでいて、このようなことが書いてあった。 原子物理学者のアルバート・アインシュタインは、死に際に自分の人生についての見通し、すなわち 「見立て」 ができなかったことを悔いていた。 アインシュタインが死ぬ前に、誰かが彼に尋ねた。 「もし…

「ミタテ」の考察⑥

真の 「見立て」 というのは、未知なるものについて見通すということだ。 そのためには既知なるものの内にとどまっていてはいけない。 自分の知識の境界内とどまるのは 「見立て」 ではなく 「もくろみ」 である。 そのもくろみゆえに極めて打算的になってし…

「ミタテ」の考察⑤

精神疾患のある人はネガティヴな気分にあるとすぐにも精神療法家に会いたがる傾向がある。 だがそれは精神療法家に会うのに適切なときではない。 ネガティヴなときに会っても、せいぜい療法家の同情を得るだけである。 そうではなくポジティヴなときに会って…

「ミタテ」の考察④

私のところに操体の施療を受けに来る男性A氏がいる。 このA氏に、「具合が悪くなってから来るより、そうならないように日頃からヨーガをしてみてはどうか」 と、私のヨーガ指導を受けてみるよう提案してみた。 A氏は聡明な人で弁護士をしている人だが、そのA…

「ミタテ」の考察③

三日目も 「見立て」 が起こる心の自然発生的な何かを考察するプロセスにおいて、意識と無意識をさらに深く掘り下げてみる。 人生において実利的に生きるために心を狭めることは必要ではある。 だが、それでは心の内の小さい部分だけが自分の自己とみなされ…

「ミタテ」の考察②

昨日は 「見立て」 を考察していく中で子どもたちの 「意識」 に注目した。 今日もその意識についての一考を続ける。 子どもたちは、あるがままでいたら、何にも焦点を合わせようとしない。 子どもたちの意識というものは、まわり中に開いている。 あらゆる…

「ミタテ」の考察➀

テーマは 「ミタテ」。 日本文化における 「見方」 や 「見通し」 というのは、 「見立て」 という多次元の感覚によって、より瞑想的な直感を生み出すことができるようになっている。 ネット検索してみると、「見立て」 について実に多くのことが書かれてい…

プロ意識とプロ根性⑦

今回はブログの初日より 「真理を知る」 ということについて特に拘ってきた。 そして、「プロ意識」 とは 「知る」 ことであるとも言った。 その知ることの 「知」(knowing)が死んで萎縮し、「知識」(knowledge) になる。 それから更に知識が萎縮すると …

プロ意識とプロ根性⑥

からだの不調を訴える一人の男がある療術家を訪ねて自分のことについていろいろと話をした。 自分は菜食主義者であるとか、アルコールには一度も触れたことがないとか、煙草など一度も吸ったことがないとか、あれやこれやと話をした。 すると、療術家は言っ…

プロ意識とプロ根性⑤

西洋医学は生命に対して論理的な姿勢という間違った姿勢をもたらした。 それは肯定するか否定するかどちらかしかないというのである。 「両方とも真実であるということはありえない・・・・・・」 と。 すなわち、診断学に基づく検査結果によって診断が下されると…

プロ意識とプロ根性④

今回のブログの初日に 「真理を知るということは非常な危険をはらんでいる」 と書いた。 知るということは確かに危険である。 人が真理を知るときには、その人はこの複雑きわまる多様性を知ることになる。 そしてどんなことをしようとも、その人はこの絡み合…

プロ意識とプロ根性③

これは聞いた話だが、あるときこんなことがあったという。 ある未開社会において一人の呪術師がいた。 呪術師は弟子たちに囲まれて呪術を行なっていた時のこと。 癒しの施術をしていた患者に水を飲ませるため、いちばん若い年少の弟子に井戸で水を汲んでくる…

プロ意識とプロ根性②

昨日、プロフェッショナルとは、物事の真理を知った者のことだと言った。 まず 第一に、人が真理を知るときには、生命の複雑さとその多様性も知ることになる。 人が知るときには、生命がいかに機能するか、その神秘的な働きもまた知ることになる。 基本的な…

プロ意識とプロ根性①

いかなるプロフェッショナルであっても誤解されることを恐れてはならない。 そしてプロと言うのは真理を知っている者のことであるが、その真理を知るということは非常な危険をはらんでいる。 その理由はたくさんあるが・・・・・・。 そして真理は必ずといっていい…

禅師廓庵のアプローチ⑥

昨日のつづき 最終日は、廓庵の 「詩」 へのアプローチで、十牛図の最初に書かれた牛の探索である “尋牛” からのメッセージをひも解いてみよう。 『この世の草原に、私は牛を訪ね、果てしなく、高い草をかき分ける』 この高い草とは何だろう? これはとても…

禅師廓庵のアプローチ⑤

六日目は、十牛図に追加した廓庵の「詩」の題名へのアプローチに入っていきたい。 最初の詩の題名は “尋牛” これは牛の探索について 書かれたものである。 この 「牛」 というのは、生命力や活力やダイナミズムの象徴と言われている。 牛はまさに生命そのも…

禅師廓庵のアプローチ④

昨日のつづき 廓庵はまず、絵や夢でものを考える子どもたちと同じ無意識の言語を試みた。 なぜなら、それが最も深いものだからである。 そして廓庵は十牛の図を描いた。 だが、廓庵は不満足を感じていた。 そこで廓庵はその不満足を埋めるために、付録として…

禅師廓庵のアプローチ③

昨日のつづき 昨日、絵や夢でものを考える子どもたちや未開地の人たちのそれは無意識の言語だと言った。 そして、文明化した我々はモノクロームだと。 そのようなモノクロは文明の言語であるが、虹は未開の言語になる。 モノクロは本当の言語ではない。 しか…

禅師廓庵のアプローチ②

昨日のつづき 廓庵の描いたあのような牛の図は無意識の言語と言われている。 それは視覚化の言語でもある。 また、それは子どもたちの言語である。 子どもたちは絵でものを考える。 それだからこそ、子どものために絵本ができた。 そして、子どもの本に大人…

禅師廓庵のアプローチ

二日目からは、東洋の覚者、中国の禅師廓庵のアプローチを題材にした。 禅師、廓庵といえば、「禅の十牛図」 を描いた人物として知られている。 が、禅の十牛図は、元々は十ではなく八つだった。 というのも、十牛図は仏教のものではなく、老荘思想の流れを…

ソクラーテスのアプローチ

今回の大テーマは 「アプローチとメッセージ」 である。 これを受けて初日は、真実へのアプローチとそのメッセージという 「ソクラーテスのクライマックス」 を題材にしてみようと思う。 時代は二千数百年遡ったギリシャ、アテネの裁判で神を冒涜した罪で毒…

五感のマ

最終日のMAは 「五感のマ」 。 我々は、自分の五感を使って現実を見るものだと思い込んでいる。 五感が、世界を見る窓のようなものだとずっと思い込んできている。 それはある意味では正しいが、実際は窓というよりフィルターに近い役割を果たしている。 そ…

進化のマ

六日目の 「MA」 は、「進化」 の 「マ」。 我々の存在というのは自らの創造の一部であり、意識の違う視点から見ている一つの目なのである。 であれば、意識の進化というのは、「たくさんの目をもって見ている」 ということだ。 進化とは加速していくもので…

魂と 肉体の マ

五日目の 「MA」 は、「魂」 と 「肉体」 の 「マ」。 我々人間の歴史は何千年もの間、自分の精神、魂、意識といったものはからだの中にある、と考えてきた。 しかし、決してそうではない。 精神的なものや魂や意識を自分の肉体的な側面から体験しているとき…

意識と無意識のマ

四日目の 「MA」 は、「意識」 と 「無意識」 の 「マ」。 我々は自分の好まないものを現実化している傾向がある。 それらすべては自分の周波数に関係している。 自分が体験しているものは、それがどんなものであっても、自分が選んだ波動で呼び寄せているこ…

次元のマ

三日目の 「MA」 は、「次元」 の 「マ」。 操体臨床家の仲間には、猫の愛好者が多い。 この猫というのは、我々の文明の中で、ある二つの次元に同時に住んでいる動物でもある。 それは我々の文明が今、向かおうとしている変化、つまり 「物質的な次元」 から…

時空のマ

二日目の 「MA」 は、「時間」 と 「空間」 の 「マ」。 「すべて」 の物質は、一つの存在そのもののエネルギーからできていて、時の間である 「時間」 と空の間である 「空間」 というのは、その一番元になるエネルギーの形である。 そして、存在には 「無…

言葉のマ

今回のテーマは 「MA」。 まず初日は 「言葉のマ」 から入りたい。 人間はとても忘れやすい動物である。 そうでないととてもじゃないがまともに生きていられない。 そりゃそうだろう、生きていればいろんな辛い事や苦しいこともある。 それらをすべて覚えて…

⑦感性、センス、タントラの考察

つづき 大きな樹のそばに坐っていると、神を感じるのはたやすい。 が、アスファルトの路上に坐っていると、そのまわりをくまなく捜しつづけることができるのだが・・・・・・それでも神を見いだすことができない。 それはあまりにも破すぎる。 まわりには鉄筋や鉄…

⑥感性、センス、タントラの考察

つづき 蜜を集める蜜蜂について、二番目に理解しなければならないこと。 タントラはそれを存在の構造化されていない状態、様式化されていない状態だという。 もし我々が習慣に従って生きるなら、その習慣は過ぎ去ったものに属しているのだから、人生を楽しむ…

⑤感性、センス、タントラの考察

つづき 狂った政治家たちは狂った家族に依存している。 狂った宗教も狂った家族に依存している。 そのような狂った連中が我々を抑圧してきている。 その連中は我々が女性、あるいは男性、あるいは関係性から離れてゆくのを許さない。 連中は「あなたは一緒に…

④感性、センス、タントラの考察

つづき 我々は人生における関係から生じた退屈さをとにかく紛らわそうとしている。 テレビの前で何時間にもわたって坐りこんでいる。 何と愚かなことか! あるいは雑誌を読み、あるいはラジオを聞き、あるいは新聞を読み、あるいは退屈している人々が集まる…

③感性、センス、タントラの考察

つづき 我々はいつでも自分は自由だと思っているようだが、決して自由ではない! 我々はある一定の範囲内で動きまわることができる。 が、自由ではない。 家族についてもそれは同じである。 もし、家族という刑務所の境界を越えはじめたら、そのとき、自分が…

②感性、センス、タントラの考察

つづき 花の蜜を集める蜜蜂については、二~三のことを理解しなければならない。 ひとつめは、蜜蜂はどの花にも決して執着しないということ。 それは最も深遠な秘密である。 蜜蜂はどの花にもこだわらない。 そして中心となる家族を持たない・・・・・・。 妻も夫…

①感性、センス、タントラの考察

テーマは「感性、センス」。 このテーマは、タントラ的に語ってみたい。 ほんの少し郊外に出ると、まわりには数知れない花が咲き乱れている。 そのような自然の中にある全存在は花に満ちあふれている。 そこでは鳥たちも歌っており、花から蜜が降りそそいで…

呼吸の真価

最終日のシンカについても、また別の漢字に変換して呼吸の 「真価」 とした。 呼吸というものの真価が本来どれだけの力と可能性を秘めているか、それを理解するには、人体の目に見えない側面を理解する必要がある。 西洋的学問は、生物におけるからだのしく…

瞑想の深化

六日目のシンカは進化から別の漢字に変換した 「深化」 という内容で話を進めたい。 私にとって深化と言えば、瞑想というものが浮かんでくる。 瞑想を深化するのは、四つの卓越した準備が必須である。 それは、まず始めに 「観察」 すること。 ただし、評価…

人類の進化

進化の最後は人類にとっての進化、これは人類の使命というような大きなテーマにまで繋がってくる。 また、なぜ人間に生まれてきたのかという哲学的問題にまで及ぶのである。 そもそも我々人間が存在している宇宙というのは、元々、物質というものが存在して…

直立の進化

昨日の続きで、四日目のシンカは、直立の進化の内容をさらに深めたい。 昨日、人類は直立二足になったことで、膝と股関節を曲げる必要がなくなった初めての陸上動物であり、その膝と股関節を伸ばした状態を維持するのに、大腿部後面のハムストリングと下腿部…

直立二足への進化

昨日に続いて、三日目のテーマは 「直立二足への進化」 とした。 生命の始まりである海洋生物から地上に上がり、四足歩行動物の時代を経て、二足歩行の人類へと進化してきたものであると、生物学の本には記されている。 人類は大後頭孔の位置が頭蓋の底面に…

四足動物の進化

昨日の続きとして、二日目は 「四足動物の進化」 をテーマにした。 水中から上がって四足歩行をし始めた頃の中間的存在ともいえるワニなどの両生類が進化して、地上だけに棲むトカゲのような爬虫類が生まれてきたものと思われる。 しかし、両生類のワニやト…

生物の進化

今回のテーマはカタカナで 「シンカ」 と表記された。 これを 「進化」 と漢字に変換して、我々人類も含めた 「生物の進化」 から話を進めたい。 地球での生命の始まりは約四十億年前の海洋生物であるという。 そして、海洋で育まれた生命は、海だけでなく、…

学ぶことの上手い下手

我らの操体師匠である三浦寛師にはヒゲがある。 そのヒゲはそれ自体だけでは生えることはできない。 三浦寛という肉体があってこそヒゲが生えることができる。 そして、このヒゲとは本当に象徴的なものだ。 人間の霊魂は生きているが、その肉体は半分生きて…

師弟関係における上手い下手

操体だけのことではないが、ひとつの道を歩んでゆく師弟関係において、弟子は師が言うことについてはひと言ももらさず従うべきなのだろうか? それとも、自分自身の裁量で動くべきときもあるのだろうか? これについてひとこと言わせていただくと、絶対的に…

演技の上手い下手

人は誰でも病気をする・・・・・・ そこで一つ提案がある。 健康なときにその健全さを感じとっておき、それを健康でないとき、病気のときに持って歩くというのはどうだろう。 その健全さというのは健康に依存するものではない。 健全な感覚というのは内的な感覚の…

上手い下手の両極性

治療とは一つのエネルギー現象である。 そして、エネルギーについては、それがどんなタイプのエネルギーであってもひとつ極めて基本的な事柄を理解しておかなければならない。 これは理解されるべき根本的な法則である。 このエネルギーというものは二元的な…

上手い下手の超越

操体の講義を聴いていても、下手な受講者というのは、いつもその情報を必ず頭の中にしまい込んでしまう。 その情報はどうやったらその頭から出してこられるのだろう? 果たしてどんな方法が使えるというのだろうか? その方法に 「意志の力」 というのは本当…

臨床家が選ぶ上手い下手

ある高齢臨床家のこんな話を聞いたことがある。 もうじき百歳を迎えるという老いぼれ臨床家が、毎朝目を覚ますとき、治療の上手い臨床家であるか下手な臨床家であるか、どちらか一方を選んでいるという。 そこでその臨床家はいつも上手い臨床家である方を選…

下手から上手いへの変身

禅のこぼれ話をひとつ・・・・・・ 禅のお寺のことを 「禅林」 というが、その禅林には 「禅画」 と言って、禅宗の教義や精神を表現した絵画の伝統が今なお存在している。 そのような禅寺の禅師のもとで、禅画を習っているひとりの弟子がいた。 この弟子は竹に取り…

意識の波動とネガティブ・エネルギー

我々が意識を拡張していくとき、すべてのものに対して、より気づくようになり意識的になる。 それは、ネガティブなもの、ポジティブなものに、より気づいていくようにもなる。 そのとき、誤解しやすいのは、そういったいろいろな新しいものに気づくようにな…