読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

歪み⑥

昨日のつづき 一般的に、よい姿勢と言えば、背筋を伸ばしている姿を思い浮かべるのではないだろうか。 だが、実際にはそうではない! 背筋を伸ばすようなことをすると、腰椎が過度に湾曲し、反り腰になって下腹部を押し出し、骨盤も前傾してくる。 このよう…

歪み⑤

昨日のつづき ヒトの立位を側面から眺めてみると、姿勢と重力との関係がとてもよくわかる。 頭頂と股関節の中心が垂直に結ばれて、その線が踵とつま先の真ん中に落ちているような姿勢が自然な立ち姿である。 こうなるには、背筋を伸ばすのではなく、うなじを…

歪み④

昨日のつづき からだに歪みのある人は、必ず中心軸がずれている。 からだの中心軸とは、頭蓋、頸椎、胸椎、腰椎、骨盤の各パーツを通る軸のことで、本来はそれらが一体でなければならないのに、その軸がずれることによって、筋肉のどこかに凝りができる。 す…

歪み③

昨日のつづき ヒトのからだが歪むのは、てっぺんに乗っかっている頭の重さが一番の弱点であるとすでに述べた。 そしてそれを支えるのが、柔軟性のある背骨であるということも。 そもそも頭の重量はできるだけ背骨が背負ってくれるのが、からだはいちばん楽が…

歪み②

昨日のつづき ヒトのからだの歪みにおける直立二足形態のもう一つのバランス問題は、からだの前面にある内蔵の重みをどのようにして受け止めるのかということである。 アンバランスな歪んだ姿勢だと、内臓の重みを支えることが大問題となり、動かなくてじっ…

歪み

今回のリレーブログは、 『歪み』 がテーマ。 操体で歪みといえば 故橋本敬三医師の 『生体の歪みを正す』 という本のタイトルを思いだす。 その本では、すべての疾患には必ずからだの歪みが存在していると書かれている。 「からだの歪み」 と書かれてはいる…

おさめ⑦

最終日は、呼吸に深く関わっているカラダの酸素欠乏について述べてみたい。 呼吸の第一目的は酸素の摂取である。 心臓からの動脈血はカラダ全身に五百兆を超える細胞に、酸素と栄養分を与えたのち、静脈血に入って心臓に戻ってくる。 心臓から出て戻ってくる…

おさめ⑥

病気のありとあらゆる原因は、血質の低下と血行不良であると、すでに述べたところである。 その原因として、呼吸が浅くなって、食べ物が乱れると、血質が落ちてしまう。 その血質が落ちると、血液が粘りついてくるので、必ず血液の循環が悪くなる。 また、皮…

おさめ⑤

カラダにおける血液の粘稠度は、水の五倍といわれている。 そんな血管は柔軟であることから、水流の原理である「水量の六乗」、いわゆる二倍の水量では六四倍の力が働くことになる。 しかし、水と同じ法則ではないものの、流れとしての流末は血液も同じであ…

おさめ④

昨日述べたように、心の不快感を治めようとすれば、カラダの姿勢の悪い癖ばかりではない。 呼吸についての悪い癖や食事についての悪い癖、それに皮膚についての悪い癖などがある。 これらの悪習慣を改めない限り、心の不快感を治めることは不可能なのである…

おさめ③

心の不快感が、種々の病気を引き起こすメカニズムは、随分と解ってきた。 そして統計的には、カラダが主原因となっている病人と、心の方が主原因となっている病人は、それぞれ半数であるという。 ということは、カラダと心を分けずに、同時に処方すれば、パ…

おさめ②

健康を定義するのにとても難しく考える人たちがいる。 しかし、健康とは、質の良い血液が、全身の隅々までより良く巡っているということに尽きるのである。 このほかには、何も難しく考える必要はない。 要するに、血質を良くし、血行を良くすればいいだけの…

おさめ

今回のリレーブログ、テーマは 『おさめ』 。 操体の「おさめ」に関する私的な定義としては、「快適感覚を収めて、疾患を治める」ことにある。 具体的に言うと、操体操法による快適感覚によって拡がっていた意識を自分のからだに戻す。 そして、その快適意識…

愛 7

愛とは、我々の存在の内奥無比の核心におけるラディカルな変化であり、それは、一つの経験であり、実存的で味覚のようである。 そしてまた、本当の食べものは実際に愛のシンボルでもある。 我々はなぜ自分が母親を愛するのか観察したことがあるだろうか? な…

愛 6

愛はオーガズミックであり、我々の生命エネルギーは絶えず流れている。そのように実存もいつも途切れることなく流れてきた。これら二つの流れが出会い、互いに混ざり合って溶け合うと、一つのより高い統合が生まれる。それは部分が全体の中で出会い、全体が…

愛 5

「三L」という言葉をどこかで聞いたことがあるだろうか? ビッグサイズという意味ではない。Life(生)、Love(愛)、Light(光)の三つのLのことである。Lifeの生は我々にすでに与えられており、まさに今、生きている。そしてLightの光が臨在する。しかし、…

愛 4

我々は「愛」という言葉で一体何を意味しているのだろうか? 我々のすべてが確実に意味していることの一つは、それには引力というたいへん大きなエネルギーがあるということである。誰かが恋に落ちるとき、それは、自分が何かをするというのではなく、愛の中…

愛 3

我々が何かを愛するときには、本来、それがどこにあるかに関して超人的な感覚をもつことになる。それは我々のもっている愛がそれを探知して、その愛が我々を導いて案内してくれるからだ。そんな感覚の記憶は新生児にまでさかのぼることで明らかにされる。 蜜…

愛 2

愛には多くの味わいがあり、多くの次元や多くのニュアンスを持っている。愛というのは単一の事柄ではなく、非常に豊かなものである。それには多くの局面があり、多面的だといえる。それは多くの面を持っていて、そしてそれぞれの面が相乗的に豊かさを与えて…

今回のリレーブログは「愛」というテーマが決められた。 それではゆっくりと愛のテーマに入ってゆこう。 古今東西において愛の通たちは、愛に関してより多くを、そして知識に関してはより少なく語ってきている。なぜなら、我々のいる人間世界で、愛というの…

病気と心とからだの歪み⑦

昨日のつづき 生体機能がサーカディアンリズムやインフラディアンリズムにのっているということは、我々の精神的な働きや肉体的な働きには、最も強い時期と最も弱い時期があることを意味している。そうであれば、日常生活であらゆる種類のストレスに対して我…

病気と心とからだの歪み⑥

昨日のつづき 昨日のプラスの病気に続いて、次にマイナスの極性をもった病気にはどんなものが含まれるかというと、あらゆる種類の組織の変性、ある種の代謝病、それに多くの内分泌疾患などが明らかにこれに該当する。クシング氏病、先端肥大症、巨人症など、…

病気と心とからだの歪み⑤

昨日のつづき マイナスエネルギーをもった人たちの中には、実はもうひとつ別のタイプの人たちがいて、このタイプでは今までとはまったく逆に、からだのエネルギーが破壊的な力として表に現われてくることがある。まさに御嶽山のような火山に秘められた噴火力…

病気と心とからだの歪み④

昨日のつづき 人間のからだの中でのエネルギー分布の最大の調節器は、実は「心」の力である。この心の調節器がよく調整されていればいるほど、「体性系」、「自律系」、「内分泌系」というからだの三系統の需要をうまく按分して、エネルギーを理想的に配分す…

病気と心とからだの歪み③

昨日のつづき 健康と病気について話を進めていく上で、ヨーガ論を無視するわけにはいかないので少し触れておきたい。古代インドの科学は、死体を解剖していろいろ調べるといったやり方には関知せず、むしろ生きた現象そのものを高度に且つ子細に観察して得た…

病気と心とからだの歪み②

昨日のつづき 医学の専門家たちは、日夜、病気と戦っているが、残念なことに苦戦を強いられているのが現状である。 医学が病気の症状を取り除くことはできても、病気のもとを癒すようなことはしないし、事実そうできないのが本当のところだ。それは社会心理…

病気と心とからだの歪み

今回のテーマは『病気と心とからだの歪み』についての考察。 健康は、宇宙の創造主によってすべての生き物に与えられた天与の贈与契約である。ただしそれには、生き物自身が「自然の法則」を尊重するという義務も果たさなければならない。いわば解除条件付き…

神経症21

昨日のつづき 子どもは生まれて間もない歳月のうちに、他に方法がないことから自分自身を締めだしてしまう。声が大きく口数の多い子どもは、息子や娘が礼儀正しくおとなしい子であって欲しいと願っている抑圧された両親に、そう長い間、大目に見てもらえると…

神経症20

昨日のつづき 心の防衛機制に関する概念は、フロイト学派をはじめとする多くの心理学理論のなかに見出すことが出来る。しかし、操体のような原始感覚的な理論からいくと、あらゆる防衛は神経症的なものであり、健全な防衛などというものはまったく存在しない…

神経症19

昨日のつづき 緊張は肉体のあらゆる部位で感じとられるが、それが集中する特別な器官が存在している。それはまぎれもなく「胃」である。腹部全体におよぶ胃の筋肉の強い収縮は、神経症にかかっている人間の内面的な痛み止めのようにさえ思える。だから、従来…

神経症18

昨日のつづき 現実にある恐れとは、生命が脅かされているという感情であり、それは緊張も、感覚や精神の鈍化も伴わずに起こる。そういった本物の恐れを抱いた有機生命は、恐れを直感する準備が完全にできているということだ。原始的な恐れは、それが破滅的な…

神経症17

昨日のつづき 神経症の緊張をスポーツや運動によって、機械的に払いのけることは一応、可能である。現実に神経エネルギーを拠りどころにジョギングなどをしている人の大半は、緊張を振り切ろうとしている。しかし、原始的な感情を振り切る方法など実際には皆…

神経症16

昨日のつづき 「人格」というのは保護手段として生長していき、その人格の機能は子どもの要求を充たすことにある。要するに子どもは自分がいずれは愛してもらえるように、両親の望みに適う人間になろうと努力するのである。しかし両親好みの人間になろうとす…

神経症15

前回からの続き「神経症」について、もう少し続けてみる 神経症にかかっている人間がはじめて精神分裂を起こすとき、視覚、聴覚、触覚でとらえた情報を一時的に蓄える働きをしている脳の記憶組織である海馬からその周辺の神経回路、さらに大脳皮質の連合野に…

神経症14

原始的な苦痛の底流には、生き延びようとする生命の要求が横たわっている。小さな子どもは両親を喜ばすために、やらなければならないことを行なう。あるクライエントはその点について語った。「私は自分自身から自分を取り除いてしまった。私は自分を殺した…

神経症13

原始的な感情は、深い井戸のようなものであり、我々はそこから感情を汲み出している。神経症は、いわばその井戸の蓋の役目をしている。それはほとんどあらゆる感情を抑圧する働きをする。それに、苦痛というのは言うまでもなく喜びまでも抑圧する。それだか…

神経症12

苦痛に対するクライエントの反応の仕方は我々療法家にとって非常に重要である。そこでこの苦痛における理解を深めるのに役に立つ調査研究を取り上げてみる。一定の原始感覚に対する「瞳の収縮と拡張」について調査したE・H・ヘスは、感覚が快の場合に瞳が拡…

神経症11

我々は本物の現象として生まれてくる。そして本物の現象であるためには、何の努力も必要としない。現実の自分のまわりに我々が築く殻は、フロイト学派の人ならばさしずめ「防衛機能」とでも呼ぶものであろう。フロイト学派では、防衛機能は人間に必要なもの…

神経症10

子どもたちの原始的な情景として、笑いものにされ、拒否され、無視され、恥ずかしめられ、駆り立てられることなど、無数の小さな経験、すなわち、小さな原始感覚的情景を経ている。そしてついにある日、子どもはこうした有害な出来事の一切が持っている意味…

神経症9

子どもというのは、いつも自分の両親に気に入られようとする試みをもっている。それはまさに闘いと言ってもよい。その闘いはまず両親との間にはじまり、その後、家庭の枠をこえ、世間一般に及んでいく。なぜなら、子どもらは奪い取られた要求をいく先々に持…

神経症8

日下が担当する今週のテーマは「神経症」、前回ブログの続き。 神経症においては自分の感情との断絶という精神の分裂を伴うことになるが、その分裂をもたらしているのは幼児期における、決して愛してもらえないという恐ろしいまでの孤独な絶望感である。たと…

神経症7

昨日のつづき 子どもらは、現実の体系に加えられる攻撃が蓄積するにつれ、現実の意識が押しつぶされはじめる。ある日起こった、ある出来事がきっかけで神経症になることもある。たとえば、ある日、子どもを託児所へ預ける。それはもう何十回目かのことで、そ…

神経症6

昨日のつづき この世に生を受けた子どもたちが、はじめて感情を抑圧した瞬間に神経症は始まるのではないが、神経症につながるプロセスはこの時点から始まると言える。子どもは成長とともに段階的に、現実に背を向けるようになっていく。しかしある日、子ども…

神経症5

昨日のつづき 神経症というのは耐え難い心理的な苦痛から逃れるための象徴的な行動であると既に述べたが、象徴的な満足では決して現実の要求を満たしてくれるわけではない。だから神経症は、長年にわたって影響を及ぼし続けることになる。現実の要求は、まず…

神経症4

昨日のつづき 我々はこの世に生を受けたと同時に要求をもっている。しかしながらほとんどの人は、その要求を満たされることなく、人生の闘争の末に一生を終えることになる。生まれてすぐの原初的な要求というのはお乳を飲ませてもらい、おむつが濡れるとすぐ…

神経症3

昨日のつづき 神経症には感情の抑圧があると昨日、述べた。この抑圧というのは常によくないものだ。いや絶対的に悪い、例外なく悪い。抑圧はただ、自分の生エネルギーを理解していないことを意味しているにすぎない。抑圧は我々の生エネルギーを無意識へと押…

神経症2

昨日のつづき 昨日は、心とからだを分離できない関係に結びつけている重要な神経組織について触れた。それほど大切な神経であるにもかかわらず、実は大きな問題が横たわっている。からだにも心にもそれぞれ治療法が確立されているが、神経においては未だ体系…

神経症

今週は日下が担当で、テーマは「神経症」である。すべての病気につながる原初的疾患と言われる神経症について考えてみる。 身心健康の条件は、からだと心を通じて全面的なくつろぎの態勢が持続されなければならず、そのどこかに緊張、硬結があるようでは健康…

ヨーガと操体論(最終日)

瞑想というのは常に受動的である。その本質そのものからして受動的なものだ。瞑想はその本性そのものが無為だから、能動的ではありえない。何かを行おうものなら、まさにその行動がことの全体をかき乱してしまう。我々の行動そのもの、活動という能動性その…

ヨーガと操体論(六日目)

ヨーガは合理的であって同時に非合理的なものである。そのヨーガの方法論は全く合理的だが、その方法論を通じて非合理の神秘のなかへと深く参入してゆく。そのプロセスはすべて非常に合理的で科学的、論理的であると言える。ただしヨーガが合理的に進むのは…