瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)
臨床の場ではいつも、その人の人生に関わらせていただいていると感じています。 からだのご縁をいただいて、操者と被験者、それぞれの人生が交差しているその交差点で、からだがききわけている「快」を共有していく。 実際にやってみてどんなふうに感じられ…
臨床空間と生活空間を分けずに、からだがききわけている健康空間として捉えてみること。 法則性によって表現されている「からだ」の呼吸やうごきをとおして、その「リズム」や「間」を感じ、「からだ」と「快」を共有していくこと。 「自分」の生活意識の中…
操体臨床でみているものは、症状・疾患を生みだしている火元であり、さらにその火元を生みだしている火種です。 その火種とは何を指し、そもそも、なぜ火種は生まれるのでしょうか。 アプローチ以前に、その問いにつながる目線と意識をもつことは必要です。 …
鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。 「息がしやすい」という感覚は、空間とからだをつなぐ呼吸からのメッセージでもあり、「からだ」にとっても、「自分」にとっても「快」であると感じられてくるもの。 臨床においては、操者自身が…
呼吸はわたしたちが生きるうえで欠かすことのできない営みだけれど、同時に環境とからだをつないでくれているメッセージでもある。 そんなふうに受け取ることができるのも、「自分」の呼吸ではなく、「からだ」の呼吸に気づけるようになるからです。 今月末…
臨床や生活の場で、わたしたちを生かしてくれている法則性を感じとっていくこと。 その姿勢は健康維持増進そのものである、と強く感じています。 昨日は師や同志たちと学ぶ機会があり、先ほど久慈に戻ってきました。 帰りのバスの中で改めて思ったことは、操…
岡村さん 一週間のメッセージありがとうございました。 今週担当の瀧澤です。 引き続きテーマは「臨床と生活にいかす操体法」です。 よろしくお願い致します。 操体法の「法」は、方法の「法」ではなく、法則の「「法」。 学びの中で何度となく耳にし、最近…
今日で最終日となります。 臨床や生活で実践しながら「からだ」と共に感じとっていることを、一日一日とブログに書いてきました。 「自然法則」はあたまで理解していくものではなく、実際に試してみて、「そうなるようになっている」という実感の積み重ねに…
からだがききわけている環境において、空間と想念は深くつながり、感謝はそこから生まれてくる。 生かされている実感を積み重ねることで、このような意識になっていくのも、健康維持増進における想念の変化だと思います。 生かされている実感は、何も特別な…
息、食、動、想の営みが、自分の要求を満たす営みとしてだけではなく、からだの要求を満たす営みでもあるように、からだに感覚をききわける。 「食」の営み一つとっても、ほんとうにからだは食べることを要求しているのか、食べることがからだの悦ぶ「快」に…
意識によって身につけていく学習は「おもての学習」。 ちょっとした意識づけによって、無意識的なことに気づいていく学習は「うらの学習」。 「うらの学習」では、無意識的にからだのしてくれていることや空間との関わりなども法則性として感じとっていける…
久慈にいるときは電車に乗る機会はほとんどありませんが、東京に来たときは電車に乗ります。 いつだったか、始発の電車に乗ったとき、車内の座席はまだガラガラでしたが、一車両中ほとんどの方が七人掛けの席の端っこに座っていました。 隣の人と接すること…
昨日の続きになりますが、空間の変化というと、なんだか特別なことように聞こえてしまうかもしれませんね。 ただ、昨日書いたように、頭の向きによって「感じがいい」とからだにききわけられたり、それによって呼吸の変化に気づいたりすることも、空間の変化…
岡村さん 一週間のメッセージありがとうございました。 バトンは茅ヶ崎から久慈へ。 今週担当の瀧澤です。 よろしくお願い致します。 今回はテーマが無題ですので、学びの中でからだと共に感じとっていることを書いていきたいと思います。 ここ数ヶ月、から…
(からだからのメッセージ) 空間があって、からだがあって、 自分がある。 調和して、健康維持増進にかなっていく。 上手くいっている、と感じているときも、 そうでない、と感じているときも、 ずっと、そこにあるもの。 呼吸も、 うごきも、 感覚も、 意…
(からだの学習) 感覚という、 からだからのメッセージを受け取っていく。 からだからのメッセージがあっての健康学。 変わっていくのは、 からだ、ではなく、 からだの変化に気づけるようになった、 自分の意識。 自分の意識、のみで、 からだをコントロー…
(うつわ) からだは正直だから、 ほんとうのことを教えてくれる。 健康維持増進に必要なこと。 『自然の器を用いてこれを満たす』 『自らを愛という』 うつわ、として、 メッセージを受け取れるように、 立つ。 快。 (迎え入れる) 自分よがりでもない。 …
(からだにとって、自分にとって) からだ、にとって自然なことが、 自分、にとっても自然なことだと、 からだ、にとって不自然なことが、 自分、にとっても不自然なことだと、 感じられるようになるまで、見届けてくれる。 からだは急かさない。 からだの声…
(主体が変わる) からだ、にとっての自然と、 からだ、にとっての不自然。 その違いに気づくこと。 メッセージの背景に意識が向くと、 主体が変わる。 快。 (ベクトルが変わる) 自分があって、 からだがあって、空間があるのではなく、 空間があって、か…
(体調はメッセージ) ふかい感謝は眠りとなり、 今日の体調へと姿を変える。 体調というメッセージをそのままいただく。 どんなメッセージであったとしても、 思考意識で色をつけない。 快。 (メッセージを背景の空にして) からだからのメッセージ、を受…
おはようございます。 岡村さん、 一週間のメッセージありがとうございました。 今週引き継ぐ瀧澤です。 よろしくお願い致します。 「からだからのメッセージ」 (重なる感覚) 息と共にいただく性と生はふかい感謝です。 お蔭さまで、くうかんと、からだと…
初日にこんなことを書きました。 「まるごと操体」と向き合うことは、「いのち」や「宇宙」、「真理」といったものと向き合うことに等しい。 健康たらしめているものは、わたしたちの意識行動だけではなく、それを支えてくれているからだや、わたしたちを生…
それぞれの営みの中で、はじめに位置する息。 この空間から空気をいただくいということにおいては、選択の余地がないほど、環境そのものをいただいているといってもいい。 操体は呼吸の生かし方もそれぞれの分析法において変化している。 楽に問いかけた運動…
日々の営みの中で他人に代わってもらうことのできない自己最小限責任生活として、操体では息、食、動、想の営み、環境との関わりを重視してきました。 それぞれの営みは同時相関相補性でつながっていて、この営みをどう営んでいくかということが、日々の生活…
楽に問いかけた運動分析と、快に問いかけた感覚分析の違いには、意識の生かし方も含まれる。 からだに感覚をききわけるためには、からだに意識を向けていく。 思考意識から意識感覚へ。 そこで重要なことは、「ゆっくり」動きを表現すること。 からだがきき…
生体のバランス制御が楽から快に変わり、運動分析から感覚分析へと操体法は進化してきました。 一つ一つの動きをとおして「快適感覚」をからだにききわける動診・操法。 「からだの動き」を表現し、からだに意識を向け、「快適感覚」の有無を確かめる。 から…
感覚という「からだからのメッセージ」を受け取る「うつわ」をつくっていくこと。 その「うつわ」に入ってくるメッセージの中から、「からだが悦ぶ」ことを感じとっていくこと。 メッセージが意識に響いたとき、自分ごとになっていく。 対になる動きを比較対…
岡村さん、意識へ響くメッセージ集、ありがとうございました。 学びの内側から「まるごと」操体にふれさせていただいている。 そんなふうに感じられた一週間でした。 今週は瀧澤が引き継ぎますので、どうぞよろしくお願い致します。 今回のテーマは「まるご…
直接何かに触れる以上に、「からだ」をとおして感じたり、「からだ」をとおして気づいたときに、「ふれる」という実感が湧いてくる。 操体の、「からだ」をとおした学習は、今まで何の疑問も持たずにやってきたことを、これまでとは違う角度から「ふれる」機…
今まで経験してきた運動指導の中では教わってこなかった(感じたことがなかった)「からだのうごき」を、操体の学びの中で体感し続けている。 膝に焦点を当ててみると、「立つ」ということも、立った状態での「動き」においても、これまで体験してきた運動指…