おはようございます。 遅咲きの今年の桜も、散り際を迎えている。 先週までは、美しく満開に咲き誇り、春の主役として親しまれていたのに…。 名残惜しい。 桜は美しさと儚さを併せ持つ。 美しく価値あるものだから、散り際は儚く感じてしまうのだと思う。 誰…
おはようございます。 健康のために歩いているという人は多い。 特に朝の時間帯は、定年を向かえ、これからの人生をたのしく健康に過ごしたいから歩いている、という感じの人をよく見かける。 歩く事は全身運動にもつながり、特に桜の花咲くこの時季であれば…
おはようございます。 操体の創始者、橋本敬三先生が昭和の始め頃に書いた書物に、以下のような文面がある。 人が正しきにおれば容姿はおのずから端正となり、 骨格は整い、筋肉も拘緊するところなく、 内臓もその地位に安んじ、 機能は互いに相調和して、健…
おはようございます。 症状、疾患にとらわれる事なく、健康の回復、維持、増進を目的とするのが操体。 これは臨床でも、普段の生活でも同じ事。 何故、それが可能なのか。 それは、操体法が感覚をききわけた自力自療を旨としているから。 自力自療を適えるに…
おはようございます。 臨床は臨生でもあり、新たな自分自身へ生まれ変わる場でもあると思う。 新たに、より良く生まれ変わる為の、動きと呼吸。 操体の臨床は、病んだ部分を操者(施術者)が治すという修理をするような場ではない。 操体臨床の目的は、症状…
おはようございます。 実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 今回のテーマは「臨床と生活にいかす操体法」ということでリレーしております。 臨床とは、病床に臨んで診療すること。 操者(施術者)として…
今年度春季東京操体フォーラムのメインテーマは、今回のブログテーマにもなっている通り、「臨床と生活にいかす操体法」です。 「いかす」または「いきる」ってどういうことだろうと考えていて 思い浮かんだのは「点」と「点」だったひとつひとつの学んでい…
手でふれて確認する。 足の裏でふれて確認する。 ここ数日ブログで綴ってきた習慣のように、 手や足の裏からの情報に意識が向くような生活を過ごしていると 自ずと「感じる」機会をもつようになります。 普段、何も考えず作業することもあれば、 アタマを使…
昨日は「手」を使う「接触」の習慣について書きましたが、 同様に「足」で接触することについても興味深く感じています。 直立二足歩行の人間は立つ、歩く、座る、立ち上がるなど、生活の基本動作のなかで、足の裏を地面に着けて生活しています。 そのなかで…
昨日「接触」についてのことを書きましたが、私自身も身の回りを見渡してみれば「接触」の機会を失っているように感じています。 こどもの頃は、あそびのなかで何にも考えず色々なものに触れてみていました。 全身でそういった経験を味わっていたように思い…
生命活動は「接触」を伴う現象に溢れているように感じます。 対して、人間の営みは刺激的なものの割合が増えてきて、 気が付いたら生活の多くを占めるようになってきたようにも思います。 操体を学んでいると、度々この「接触」と「刺激」という捉え方につい…
操体を通して学ぶことは、臨床と生活、そのどちらにもいきてきます。 自分自身も操体を学びながら気が付かないうちに、その恩恵を受け取ってきたことを、改めて感じています。 臨床に必要なことを学んでいると、それが自然と自分自身にもかえってくる。 また…
瀧澤さん、一週間ありがとうございました。 本日から直近に開催される春季フォーラムのテーマ「臨床と生活にいかす操体法」を引き継いで寺本が担当します。 どうぞ、よろしくお願い致します。 これは10数年前の私自身の話になりますが、当時は慢性的な片頭…
臨床の場ではいつも、その人の人生に関わらせていただいていると感じています。 からだのご縁をいただいて、操者と被験者、それぞれの人生が交差しているその交差点で、からだがききわけている「快」を共有していく。 実際にやってみてどんなふうに感じられ…
臨床空間と生活空間を分けずに、からだがききわけている健康空間として捉えてみること。 法則性によって表現されている「からだ」の呼吸やうごきをとおして、その「リズム」や「間」を感じ、「からだ」と「快」を共有していくこと。 「自分」の生活意識の中…
操体臨床でみているものは、症状・疾患を生みだしている火元であり、さらにその火元を生みだしている火種です。 その火種とは何を指し、そもそも、なぜ火種は生まれるのでしょうか。 アプローチ以前に、その問いにつながる目線と意識をもつことは必要です。 …
鼻腔をとおして、十分に息が吸え、呼吸が循環していくこと。 「息がしやすい」という感覚は、空間とからだをつなぐ呼吸からのメッセージでもあり、「からだ」にとっても、「自分」にとっても「快」であると感じられてくるもの。 臨床においては、操者自身が…
呼吸はわたしたちが生きるうえで欠かすことのできない営みだけれど、同時に環境とからだをつないでくれているメッセージでもある。 そんなふうに受け取ることができるのも、「自分」の呼吸ではなく、「からだ」の呼吸に気づけるようになるからです。 今月末…
臨床や生活の場で、わたしたちを生かしてくれている法則性を感じとっていくこと。 その姿勢は健康維持増進そのものである、と強く感じています。 昨日は師や同志たちと学ぶ機会があり、先ほど久慈に戻ってきました。 帰りのバスの中で改めて思ったことは、操…
岡村さん 一週間のメッセージありがとうございました。 今週担当の瀧澤です。 引き続きテーマは「臨床と生活にいかす操体法」です。 よろしくお願い致します。 操体法の「法」は、方法の「法」ではなく、法則の「「法」。 学びの中で何度となく耳にし、最近…
「想念」とは、 生きかたに直結している、と感じています。 生きかたの中で、間(マ)をいかす。 ふと『今の生きがいは何だろう』と考えたり、自己の存在意義について、改めて想いを馳せ 意識するのも、いい間(マ)です。 例えば、自分自身に問いかけ、間(…
今日は「想念」をわかりやすく、 脳の働きで説明してみます。 脳のホルモンで伝える「快」神経のルート。 それには、三つの幸福が考えられます。 一つは、「セロトニン」によるもの。 これは、減らない幸せと言われており、 「太陽光」を朝浴びて、「リズム…
生命エネルギーの入出力。 そのバランス現象でいえば、操体で語る 「想念」も、それは大きく、自分の健康増進 に関与しています。 操体を学んでいるとよく聞く、「言葉は運命のハンドル」。 これも実践すると、周りを見て感じとることになるでしょう。 「想…
「力を抜いて」とよく聞きますが、力が 抜けない方も臨床上よく見受けられます。 このような力が抜けない方は、 常に力が入っていることを自分で認識 できていないので、 本人の意識と「からだ」の意識にズレ がある状態とも言えるでしょう。 臨床上、前回ま…
吐く息(呼気)を通しながら体を動かすことは、あらゆるエクササイズ でも、当たり前のように指導されていますよね。 これは、体一つ一つのパーツが意識しやすくなることによって行われて いると思うのですが、逆に、全身のつながりは意識しないと、もしくは…
「臨床」と「生活」といった場での操体。 これには「生き方の自然法則」即ち、生命エネルギーの入出力のバラ ンス、その同時相関相補性をとらえたもの「息・食・動・想・環境」 があることは、前回のブログでお伝えしました。 なかでも、普段生活で切っても…
今回のブログのテーマは,「臨床と生活にいかす操体法」です。 一週間、よろしくお願いいたします。 操体を生かす工夫、といえば操体法の書籍に「生き方の自然法則」 として、「息・食・動・想・環」があります。 三浦理事長は、「生命エネルギーの入出力のバ…
「あたりまえのことだが、他国については、自国の尺度で見ればすべてまちがう。国あるいは社会または民族というものに二つのものなど存在しないのである。これもあたりまえのことだが、そういう多様さがありつつ、最後には「人間」という大きな均質性で締め…
真理を説明する言葉は、月への道を示す指の様なものだと禅の世界では言いますが、「不立文字」と言葉で表現します文跡が多いのも特徴です坐ってばかりでは深まりません学んで書き遺さなければ、具体的に 開催案内 | 2024年春季東京操体フォーラム | Tokyo So…
新しいものが生まれたら、古いものが消えてゆくこれが道理です今を生きる者に役立つものが残り、そうでないものは退場してゆきます不易と流行が、時間と共に歴史・古典と過去になり、巡ります 開催案内 | 2024年春季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum …