東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体庵ゆかいや物語(4)

こんにちは、佐伯惟弘です。本日は、ブログ四日目。三軒茶屋に電車で30分のところ、桜上水に安いアパートを見つけ、いよいよ操体修行のはじまり、はじまり!


■眼力


白髪まじりの長髪をオールバックにし、髭をたくわえた三浦先生は、子供のような美しい瞳をした男前。 様々な帽子とジーンズを大胆に着こなすファッション感覚は図抜けています。


そんな三浦先生の治療所は、これまた異質な空間です。玄関を入ると操体東洋医学関係の本がずらりと並び、橋本敬三先生の写真があります。


細い通路をすり抜けると、中国人風の老人が赤ん坊を抱きかかえた絵が左の壁一面に居座っています。ほとんど、壁画状態。その前にソファーがあり、へやの中央には木製の火鉢が、鉄瓶とセットで置いてあります。三浦先生は、つねに老人の絵が見える側に火鉢をはさんで座っておられます。


と、ここまで書くとよくあるような空間に思えます。しかし、ここからが描写しづらいのです、なにせ、様々な品々と本が足の踏み場もないほど、空間を埋め尽くしているのですから。


そこには、ある一定の規則性があるような、ないような、、、あるとすれば、すべて三浦先生のお気に入りの品々であること。それを秩序立てて置くことは、困難極まりないので適当な場所に置く。すると、いつしかその品が場になじみ始め、そこに無くてはならない物と化していく、、、、すると、必然的に秩序だった雰囲気を醸し出す、、、と言った感じだと思います。


そういった品々のなかでも異彩を放つ物が二つあります。一つは、黒っぽい光沢を放つ木製のガイコツ。私の推測ですが、これはアフリカ産。おおらかな笑い顔で実物の2倍はある大きな憎めないヤツです。


三浦先生は、このガイコツにたばこをくわえさせたり、帽子をかぶせたりと、好きなことをして遊んでおられます。しかもコイツ、三浦先生の横に堂々と鎮座しているのです。三浦先生と真面目な会話をすればするほど、ガイコツのひょうきんさが際だち、思わず吹き出しそうになることがあります。
これは、多分余裕のない患者さんに外部からの刺激を与える演出だと思います。


二つ目は、直径15cm高さ160cmくらいの円柱のような円錐形をした黄色っぽい物。
「佐伯、あれ何かわかるか?」
「うん、、、、、きっと、植物ですね。細長いひょうたんですか?」
「ブウ〜、、、、違う!」
「あっ、、、、違いますか、、、そしたら、へちま!、、、じゃないですよね、、、、」


「佐伯、あれは、クジラのペニス!ワッハッッハ、、」
「、、、、、、、、、、、、」
私は思わず、近づき両手で恐る恐る触れていました。


「ほらっ、先っぽには、ちゃんと穴があいてるだろう!」
「たしかに、、、、」


まああ〜みごとな「もの」です。


初めて、ここを訪れた患者さんは、一瞬、骨董屋の店内に迷い込んだと錯覚し、三浦先生が骨董屋のオヤジさんに見えるはずです。そこで、冷静になる時間が生まれてくると、置いてある専門書に目をやり、


「やはり、この方は操体の先生なのだ。」


と胸をなで下ろすというパターンが殆どです。しかし、ゴクたまに専門書に気がつかず帰ってしまわれる方もいらっしゃいます。


さて、そんな骨董屋風治療所での一コマです。
私は、「先生の臨床を邪魔にならないよう、見学する。」という修行の場を戴き、週に2〜3日の割で治療所に通っていました。数週間たち、やっと手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法を教わり、その難しさに四苦八苦しておりました。


三浦先生の治療用ベッドは、骨董部屋の奥の空間にあり、そこが治療室となっています。当時の先生の臨床は、皮膚に快適感覚をききわけさせる渦状波がほとんどでした。薬指を支えにし、軽く中指を硬結の部分に軽く触れ、からだの無意識がつけてくる快適感覚に委ねる操法。この操体による臨床の効果は目を見張るものがありました。


先生は、渦状波の操法に入ると、一カ所で15分位の時間をかけ同じ体勢をとられます。ただ、操体駆け出しの身である私には、何をやっているのかさっぱり分かりません。

 
ちょぅどあの日は、先生が私に背を向けてイスに座り、渦状波の体勢に入られました。敏感な左手での操法。左大腿部に硬いマクラを置き、その上に左肘を乗せ、かるく左手中指と薬指を患者さんのからだのどこかに触れておられます。ただ、私は正座位で目線を正面の一点にすえると先生の腰背部。まったく見えません。

 
見えるのは、先生の背中と、マクラだけ。10分は時間がたったでしょうか?
私は、ふと先日習った「手関節を外旋位、内旋位に決める介助の方法」を思い出していました。
「そうだ、先生も見てないことだし、介助の練習をしよう!」
先生に気付かれないよう、ゆっくりと右手で左手関節を外旋位、内旋位に取り始めました、息を殺して。
2,3分程たった頃でした。突然、何かが私のオデコ目がけてぶつかって来ました。
「あれ?どうしたの?何なの?前を向くと、相変わらず先生が同じ姿勢で渦状波の臨床をされています。何かの間違いかもしれない、そうだ、私の錯覚に違いない、、、、きっと、、、でも、そんなことってあるの?
夢うつつの中、まじまじと先生の背中を見ると、何か足りません、、、目線を床に下ろすと、硬いマクラがころがっていまいた。


「そうか、マクラが移動したのか。」やはり、私は脳天気。


いつものように、臨床を終えた先生は、外でたばこを一服。患者さんは、その間、ゆっくりとベッドで休まれています。私はというと、骨董品の一つになったように、部屋のすみで正座。


起きあがって来られた患者さんを、先生と私が玄関までお送りします。そして、患者さんが角を回って見えなくなるまで、その足取りを確かめるお見送りをします。これは、先生の玄関先での臨床最終チェックなのです。


いつものパターンで臨床を終えた先生が、おもむろに、、、、


「佐伯、お前、マクラが飛んできた理由がわかるか?」と、鋭い眼光で問いかけてこられました。


脳天気の私にも、この一言で全てが分かりました。


「お前なあ〜、オレの後ろで、手をこうやって、動かしていただろう。うるさくて、仕方がなかった。」
と、私がしていた右手で左手関節を外旋位、内旋位に取る練習をそのまま再現されました。


「お前は、患者さんのことを思ったことがあったのか?あの時間と空間は患者さんのためのものだ。それなのに、お前は、自分のことしか考えてなかっただろう!」


響きわたるその声が、落雷のように聞こえ血の気が引いて行きました。先生には、全てがお見通しだったのです。
顔面蒼白で、引きつっている私の顔が、面白かったのか、、、、、先生は、


「もっとも、オレが橋本先生のところにいた時も、先生の後ろにいるのに、先生にはオレの行動が見えていて、オッカナカッタけどな、、、、、」と吹き出し笑いをしながらのやさしいお言葉。卒倒しそうになる私もなんとかこの一言で踏ん張ることができました。


後日、操体の先輩女性にこの話しをすると、「そうなのよ、先生には特別な眼力があるの。こんなことがあったのよ。ある女性の患者さんが、自分で描いた絵を先生にお見せしたの。その絵は女性が赤ん坊を抱いている絵なの。ところが、先生はその絵の女性のお腹を指さして、『ここにも、子供がいる。』って言ったのよ。」
と矢継ぎ早にはなしてくれました。


「実際には、子供なんて描いてないわよ。そうしたら、その女性は突然泣き始めたのよ。どうしてか分かる?、、、、その女性、流産したことがあったの、、、」


我が師匠、三浦先生は、他人には決して見えないものでも見えてしまう特別の眼力をお持ちなのです。
触診に関して、「眼で触れろ」と先生はおっしゃいます。このことは、網膜のような感覚の指先、皮膚になることの勧めだと思います。このような意識の連続が長年にわたり積み重なることで、先生のような眼力が生まれくるのだと思います。しかもそれは、臨床を通してしか学び取れないものなのでしょう。
精進、精進。


(つづく)

佐伯 惟弘