東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

東京操体フォーラム二日目・『想』の時代へ

こんにちは。畠山裕美です。5月4日から一週間、宜しくお願いいたします。


昨日から2008年春季東京操体フォーラムが開催されています。今日は二日目。温古堂にて受付嬢兼橋本敬三医師のお世話をされていた今美代子さんをゲストに迎え、三浦理事長と「人間・橋本敬三」に迫る対談を行いました。


また、今回は32年前の橋本敬三医師のデモンストレーション講義の映像が発見され、それを上映しました。
★これは、貴重な映像です。





操体に出会ったのは高校生の時です。操体を学び始めて15年、操体専門で開業してから13年になります。


操体法』の名前は知っていたのですが、『操体法治療室』(特に後半)を読んだ時『これを学ぼう』と決心しました。著者の1人、三浦先生のところに入門するまで少し寄り道をしましたが(価値ある寄り道で、今では『操体武者修行』だと思っています)


操体法治療室―からだの感覚にゆだねる


他の手技療法も勉強しましたが、最初から一番気になっていたのが操体で、やはりその通りになりました。


1999年に最初に書いた本がこれです。
名前が「青木裕美」になってますが、この時ヨメに行っておりましたのでこのようになってます。
今は本来の名字である「畠山(はたけやま)」に戻って、シングルライフと操体をエンジョイ中です。



そして
一昨年、三浦寛先生、今昭宏先生と共著という形で『操体法 生かされし救いの生命観』を出しました。(たにぐち書店刊)


操体法治療室』を読んで操体を志した私が、この本の両著者の先生方と共著を書かせていただけるとは、全く以て幸せ者だと思っております。


操体』って、時には人生変わっちゃうこともあるんです。


おそらくこのブログを読んで下さっている方々は、操体に少なからず興味をお持ちだと思うのですが、こんなに奥が深くて面白いものはありません。
フォーラムの実行委員の面々も、最初はおそらく、ご自身の臨床で悩み、どうにかして技術なりテクニックを会得したい、と操体の門を叩いた方が多数のはずです。
しかし、「症状疾患にとらわれない」「○○に効く操体」というものはない」「治療まで関与するな」などの、一般的な常識からみたら、頭を捻るような新しい世界でとまどうのです。


しかし、橋本敬三先生が『操体は面白いぞ。一生楽しめるからな』と、言われた、その意味が分かった時が、本当の操体の勉強のはじまりなのです。



21世紀を迎えてから早くも8年が経った。本当に時の経つのは早いものだと思う。
1990年頃から2005年位のこの時代は、おそらく人類が今までにない環境変化に対面した時代であることは間違いない。
パソコンは一人一台が普通になり、家庭にも普及した。インターネットは当たり前の時代であり、仕事でも必須ツールとなり、携帯電話を持っていない人は珍しくなった。
私が会社勤めをしていた頃は(北欧系の船会社に勤めていた)、テレックスという機械を使って船や海外と通信していた。丁度テレックスからインターネットに移行する前段階の時代である。パソコンはあったものの、画面は黒い。MS-DOSでコマンドを打ち込む時代だった。
朝会社に出社すると、夜の間に時差のある海外からテレックスが入っていた。テレックスというのは四枚組の巻紙になっている。白、ピンク、ブルー、イエローの紙が滝のように床に流れていた。テレックスというのは文字数分課金されるので、短くするために英語の略語が発達した。例えばTELAXはTLX、Vessel(船)はVS、これは慣用句にもなっているが、ASAP(可能な限りすぐ)はAs soon as possibleの略だ。
また、船会社だったので、チャータリング(用船: 船主が船舶利用者のために、船舶の全部又は一部を提供して、その利用にまかせることをいい、一般にチャーターと呼ばれる。)マネージャの北欧出身の同僚がいた。常に船のスペースの空きなどの情報が入ってくるため、彼はいつも電話ばかりしていた。ある時、自宅のパーティに招かれ、駒沢大学駅から少し奥まったところにある、在日外国人向けにしつらえた豪華な一軒家にお邪魔したことがあるが、パーティの最中でも彼は仕事の電話に出ていた(笑)。彼の奥方は『これが仕事なんだから、仕方ないわ』と笑っていた。今は携帯電話とインターネットのお陰で彼の仕事も便利になった事だろうと思う。
こんなのは懐かしい話だが、現在ではバーチャルチャータリングのシステムもあるし、船舶では衛星(インマルサット)を経由したインターネット導入が進んでいる。
FAX、e-mail等のデジタル通信網に価格とスピードで差をつけられ、テレックス(国際網)は、2005年3月31日にサービスを終了した。インターネットが主流となり、世界が一気に狭くなったのである。
というわけで、この同年代に生きている我々はおそらく何世紀か後の歴史の教科書において、『産業革命』のように『デジタル革命時代』に生きていたということになるのだろう。


世界が狭くなり、目まぐるしい変化の連続の日々が続いている。
変化は通信手段のみならず、環境身近なところでは、春先から初夏にかけて、花粉症という新手の病が猛威をふるい始めた。神経内科に通う人は珍しくなくなった。日本は探刻な少子高齢化時代を迎え、憂えるような出来事が山積みになっている。息・食・動・想+環境、のバランスが、地球規模であきらかに変わってきている。
操体の創始者、橋本敬三医師は、世の中の動向を、著書の中で「どうすりゃいいの?」と書かれているが、本当に「どうすりゃいいの?」という時代になってしまったのだろうか。


社会進捗曲線というものがある。1971年1月号のプレジデント誌に掲載された記事で、当時の立石電機(現オムロン)の研究所が発表したものであり、橋本敬三先生の『からだの設計にミスはない』(たにぐち審店)、『生体の歪みを正す』(創元社)に引用されている。これによると、1945年から1974年まで自動化社会であり、1974年から2004年までは情報化社会とある。確かにこの時代は情報化社会の始まりだった。
2005年から2025年までは、自律、つまり制御可能(コントロール可能)な時代になると記されている。また2005年は「生体制御技術」の始まりの年でもあり、そこから20年間は、サイコ、つまり心の時代でもあるという。生体制御技術とは、今で言う先端医療のことだろうか。遺伝子を用いた医療、再生医療などの発達と共に、人類が一層「こころ」の問題に目を向ける時代が来るのだろうか。
図を見ると、2005年を境にものの考え方が西欧的な物質社会から、東洋的な心の世界にシフトしている。そして2025年、社会進捗曲線は「精神生存技術」の時代を迎えることになっている。精神生存とは一体どういう意味なのだろう。
この図をみると、人類は同じ事をくり返しているように思える。古代の人間は心の世界に生きていたが、文明の発達と共に物質の時代を迎え、2005年を境に、再び心の時代に戻っていくというのだ。『歴史は繰り返す』ということか。


近年、心を病むケースが増えている。うつ予備軍といわれる中学生、うつ病の発症最低年齢が小学一年生であるなど、想像以上に体のみならず心の問題を抱える人口は、確実に増えているようだ。かといって不思議なのは、きわめて自然に近い暮らしをしている人々に、心の病が多いということだ。これはまたシャーマニズムやメディシン・ドクターとも関係がありそうで興味深いのだが、余りにも自然に近いとそれはそれでストレスになるのだろうか。また、今より生活のサイクルがのんびりしていたような日本の過去の時代を見ても、心の病というのは昔からあったようである。古典研究家、大塚ひかり氏が書いていたが、『源氏物語』に出て来る女性は殆ど心身症の傾向が見られるという。昔から心と体を病む、ということは比較的多かったのではなかろうか。



更に心の病というのは都市部で多発しそうであるが、実際には地方のほうが、人間関係やしきたりなどで心を病む人の潜在的な数は多いとも聞いている。他者との体裁もあり、「病院に行くのは恥ずかしい」、あるいは「見て見ぬふり」などで適切なケアを受けていない、あるいは受けられないというケースも多いと聞く。
私は東京の品川生まれである。3歳から大学を出るまで千葉市に住んでいた。幕張メッセの近くで、総武線各駅(JRの黄色い車体だ)沿線だ。父親は都心で働いており、電車の本数も多く、学生時代は表参道や原宿、新宿でよく遊んでいた。今も東京都に住んでいるし、生まれてからこの方、東京近郊を離れたことがない。なので『都会は疲れる』とか『東京砂漠』(ちょっと古いですか)とか『都会は不毛である』というのはなかなかわかりにくい感覚でもある。住み慣れているので、人が多いのも電車が混むのも『こんなものだ』という感じである。

メディシン・ドクターと言えば、現代の日本でも「拝み屋」は存在する。以前読んだ本によると、昔はどこの町にも大抵一人は「拝み屋」がおり、人々の悩みや相談事をひっそりと解決してきた。
それが「生活改善」という名前の元に『そんな前時代的な事は止めましょう』ということで減っていったらしい。拝み屋ではないが、青森県の恐山のイタコの話は聞いたことがあると思う。イタコというのは盲目の女性が代々役目を担っている。いわゆる死者の霊を呼び出し、イタコ自身の口を借り、残された者達にメッセージを告げるのである。イタコというと、恐山にいるのだと思うかも知れないが、集うのは恐山大祭の時だけで、普段は東北地方の自分のエリアでお勤めをしているのである。
父方の祖父が亡くなった時、イタコを呼んで口寄せをした。私の両親は共に宮城県気仙沼の生まれである。気仙沼市岩手県陸前高田市に隣接している。私は当時高校生だったのだが、若い女子や子供は口寄せの席には同席しないというしきたりがあった(非常に興味はあったのだが)。後で親に聞いてみると、イタコに祖父が口を借りて『兄弟仲良くやれ』とか、『道でお地蔵さんを見たらオレだと思え』とか、余り当たり障りのなさそうな事を言うらしい。しかし、口寄せの最中に泣き出す親戚もいたりして、それはそれで祖父の供養になったのではないかとのことだった。
こういう『拝み屋さん』は一種のメディシン・ドクターのような存在であり、地域の人々の悩みを聞き、癒していたのかもしれない。


最近では、不安障害(パニック障害適応障害など)のメカニズムが解明された。脳内で分泌されるタンパク質の一種が影響するのだという。
操体的に「病気になる順序となおる順序」を考えてみると、その不安障害を引き起こすタンパク質は何故分泌されるのだろう。やはり、息・食・動・想のアンバランスではないだろうか。生命が向かう方向性、「快適感覚」をききわけ、味わうという生命にとっては最高の「ごほうび」を与えることによって、そのタンパク質の分泌が抑制されるのではないだろうか。
しかし、「病気はサインだ」という橋本敬三医師の言葉を考えると、心がカラダの声に耳を傾けず、カラダを乱暴に乗りこなした結果ではないのか?など考えてみる。
橋本敬三医師の時代、まだ脳内の詳細な生理学は解明されていなかった。
今では脳内ホルモンが様々な働きをすることが分かっている。「なぜ、きもちよさで良くなる」のか、科学的に解明出来る時代になって来たのだ。
その詳細があきらかになる前に「きもちのよさでよくなる」と言われた橋本先生は一体どのようにしてその真実に気がつかれたのだろうとふと考えたりする。




社会進捗曲線 『プレジデント』1971年1月号より



(畠山裕美)



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