東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

日本全国ルーツの旅?

ルーツと聞いて皆さんは何を連想するだろうか、缶コーヒーを連想する人や、マニアな人は昔あったアメリカのTVドラマを思い出す人もいるのではと思います。
 

私が言うルーツとは“自分捜し”と言いましょうか、要はご先祖様ってどんな方であろうと空想したり、自身のDNAがどのような人達の構成要素から出来上がっているか?などというそんなルーツのことであります。私のルーツは何処にあり、どんな人達だったろうとふと思い、毎度の事ながら、先月ちょいと旅に出ました。


基本的にルーツを捜す手がかりになるのはやはり、姓名ですが、福田は実は私の元々の姓名ではなく、旧姓は杉谷(すぎたに)と言います。
この杉谷という姓名の全国分布を見ますと、関西・中部圏に多いというのが解り、更に調べを進めて行きますと、どうやら杉谷姓は滋賀県が発祥ではないかとの事、しかもどうやら現在の甲賀市(こうかし)になるようです。


そう・・何を隠そう甲賀と言えば忍者発祥の地であり、伊賀と並び称される忍者の里であります(私も勘違いしていたのですが、甲賀の読みははこうがでは無く、正しくはこうかだそうです)。
道理で私が未だ高校生の頃、尊敬して止まぬ千葉真一大先生のTVシリーズ影の軍団を見ながらフツフツと腹の底から絵も知れぬ感覚が込み上げて来るものがあり、ワクワクしながらTVにかじり付いていたのを思い出しました。
その思いが強くなりJAC(ジャパン・アクション・クラブ)の養成所入団試験を受験しようと履歴書を送り、一次試験を通過した過去を思い出したりしました・・・


 


その甲賀(こうか)の歴史を軽く紹介致しますと、元々室町時代の後期位に近江の国を治めていた近江 佐々木 六角氏と言う一族があり、幕府を軽視した所から当時の幕府の怒りをかい、諸大名動員の下に居城である観音寺城を攻められたそうです。
そんな圧倒的な戦力に攻められる中で、六角親子は配下であった甲賀武士団”に命じて地の利を活かし、様々なゲリラ戦を展開したそうです。
夜陰に乗じて本陣を攻めたり様々な手段を持って大軍を足止めし、3年近く抵抗を続けて、甲賀武士団はその武名を全国に轟かせたのだそうです。
その結果、佐々木 六角氏は生き延びる事が出来たのです。


それで、その時に参戦してくれた五十三家の地侍甲賀五十三家』と称して六角氏は厚遇しました。
そして甲賀の里が織田信長に攻められ、追われる間、六角氏に仕えたようです。


その“五十三家”の中の一つに「杉谷家」があったようです。この杉谷は現在も地名として残っており(甲賀市甲南町杉谷)、杉谷城跡やら杉谷砦も今は苔むした感じでひっそりと残っております。


流石にこのあたりを車で走ると何やら懐かしいやら何やら、よく解らない感情が込み上げて来て複雑な感じでした。そこに根っこが有るというか、心の奥底に押し込めてあるものが燻っているような不思議な感覚でした。


因みに大河マニアと言う実行委員の辻さんや、同じく実行委員でピンポイント歴史マニアの中谷さん、あ!それともう一人更なる歴史マニアである畠山先生には解ると思うのですが、昭和53年のNHK大河ドラマだった黄金の日日という大河ドラマ(現9代目 松本幸四郎 主演)の中で、織田信長が史実でも有名な浅井長政の裏切りに合い、這々の体で、京都から岐阜へ帰る途中に馬上で狙撃されるという事件が起きました。


その信長を狙撃したのが甲賀一の鉄砲名手と言われた杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)』と言う人物、大河では今は亡き川谷拓三さんが演じ、川谷さんの当たり役となりました。
この善住坊が杉谷一族の一番の有名人だそうです(かなり微妙ですが)・・・
但し、最後は信長の逆鱗に触れ“鋸(のこぎり)引きの刑”(しかも木製の鋸によってジワジワと首を切られるという処刑の仕方で)によって殺されるという壮絶な生き様でしたが・・


忍者も元を辿れば、山伏など修験者が心身共に鍛錬をする事で常人離れした能力を身につけ、時代の流れと共に野に下りて忍者という職業集団を形成したのではと思われます。
ですから忍者は誰に飼われる事もなく、独立した組織であり、金で自らの技術を売るという、自分を高く買ってくれるなら、今日の友は明日の敵みたいな事をやっていた訳です。

 
今回の春期フォーラム平相談役が武士や武術家が当時は医者の代わりもやっていたという事を発表されていたのですが、私も全く同感です。
その中でもこの忍者に関しても武士や武術家同様の修行や鍛錬を行っていました。


残っている文献などを見ると非常に面白い記述も沢山あり、諸説もありますが忍者には一人前になる際にこれだけは覚えとけみたいなものがあり、それが俗に言われる『忍者八門』と言う忍者になるための必須科目8種類の事です。


1.骨法術(当身技を中心とした武術)
2.気合術(催眠術や念力等も含めた気を練った技)
3.剣術(日本刀、忍者刀などを使った武術)
4.槍術(槍を用いた武術)
5.手裏剣術(手裏剣を使った武術)
6.火術(火薬や火を使った様々な術)
7.遊芸(芸事のこと)
8.教門(知識・教養など。さらに古来の軍学・兵学である兵法)


最低でもこれらのものを身に付けて一人前の忍者として現場?に出たのだそうです。近年の研究では、オリンピック選手並みの身体能力を持ち、厳しい規律に律された諜報集団という面の他に、優れた動植物の知識や化学や医学の知識を持つ技術者集団としての一面があったということも解っています。



梅肉を加工した加工食品を食べる事でノドの渇きを押さえ潜入した際に水を飲まなくてもよかったり、普段は腰紐として使用していたものを携行食として用いたり、猫の目を見て時間を計ったり、雲の流れや星の位置で正確な自らの位置をはかったりと、料理研究家や天文学者真っ青の知識を兼ね備えていたそうです。


特に私が興味をひかれたのは医学というより密教からくる様々な治療法です。
現在でも忍者八門の中の一番目にもありますが、骨法では治療も行われており、整骨・整体の源流となっているのもこれら骨法の中より派生したものも少なくないです。


当然のことながら、人体の急所を熟知しており、三年殺し七年殺しトイレット博士を知る人には懐かしい・・)と言った三年後や七年後に人を死に至らしめる(一説には内臓が溶け出すとか・・・)と言われるような技活殺自在の技を身に付けていたようです。
それだけ人体の急所を知り尽くしているのですから、治すといった作業も同時に可能だったようで、戦場での止血術や骨折、靱帯の切断への修復など、ほぼ数週間といった期間で完治させていたようです。
現在、私が聞いている限りでもアキレス腱の断裂を数週間でほぼ繋げてしまう柔術家の先生もいますし、現在でも脈々とその流れは受け継がれています。


話しは少し変わるのですが、私が住む出雲地方はいわゆる青森の恐山などに多く見られる“イタコ”さんの様な職業を生業としている方が数多く存在し、まぁ本物な方もいらっしゃいますし、眉に唾を付けたくなるような方も多々いらっしゃいますが・・・


その中で先程も書きました密教神道の流れを組む拝師(おがみやさんなどと呼んでおりますが)、後、昨年漫画の原作を映画化したこと(オダギリジョー 主演)で話題となった、蟲師(むしし)なる職業の方もいらっしゃいます。


これは実際に今の福田家の父が幼少の頃、経験しているようで“疳の虫(かんのむし)”で困っている時に親戚に蟲師の方がいて治療をしてもらったそうです。
そのやり方とは掌(てのひら)に墨など何もつけていない筆で呪文を唱えつつ、何か文字を書いて暫くおいておくと、掌から白い糸の様なものが“す〜っ”と天井に向けて上がって行ったのだそうです。
父曰く、それで疳の虫は治まったそうで、今でもその光景はしっかりと覚えているそうです。


残念なのはその様な蟲師の方がやはり、後継者不足で現在は殆ど途絶えていることです。
福田方の親戚の今年84歳になるおばちゃん(私のクライアントですが)が、かすかに密教真言を記憶していて、色々教えてはくれるのですが、残念ながら記憶が忘却の彼方へと向かっている様で、僅かながら覚えているのが裁縫などをしていて針を無くしてしまった時に唱える真言ですが音羽ヶ滝の失せたる針のあびらおんけんそわか あびらおんけんそわか』と唱えると針が見つけられるのだそうです。


後は山などに入る時にマムシなど蛇に会わない様に『われ行く先に、にしきまだらの虫おれば 玉の御殿を回るごとくらん、あびらおんけんそわか あびらおんけんそわか』と唱えると蛇避けになるそうです。


因みにこの“あびらおんけんそわか”とは『阿毘羅吽欠蘇婆訶』と書く大日如来(だいにちにょらい)に祈る時の呪文で梵字の音読みで阿毘羅吽欠(あびらうんけん)地水火風空を表し地上にあるもの全てという意味か?
蘇婆訶(そわか)成就の意味があるそうです。


この様に昔から語り継がれ今だに脈々と受け継がれているものと、もはや化石の様になり、殆ど無くなる様になってしまうものがあるのが悲しく、特に疳の虫を含めた幼児の治療に関しては蟲師の様な人達が居ればいいなぁ・・・などと
現代医療だけに頼り、やれ環境によってストレスが溜まっているからどうとか、トラウマになるからどうとか、こうとかなど、まるで腫れ物にでも触るが如くの対応の仕方に、私が聞くと思わず?と思う様な幼児に対しての現代医療が展開されています。
これは鬱などの心的疾患にも同じ事が言える様な気がします。


病名を付けることが手柄ではなく、ありのままの状態を診て、更にその人そのものを診て判断する必要性が有る様な気がします。


時代は変わっても人間そのものは昔に比べ手足が一本増えたとかは無く、変わらない訳ですし、これからは何かもっと操体で言う所の『ききわける』と言う作業がとっても大事な気がします。


ゲノムの解析やミクロのカラダへの分析も良いのですが、もっとマクロに人間を診る事こそ、現代医療に必要とされているのではと思います。
パソコンの中に有るデータの一部として、顔色も見ない、カラダも診ずに薬を出す様な医療では無く、もっと基本的な対人間としての医療が求められていると強く思います。


最初と話しが随分逸れてしまい、忍者から最後は現代医療の話しまでになってしまいましたが、橋本先生“日本は宝の山だ”と著作の中で冒頭に書かれていますが、私もその通りだと思います。
昔から語り継がれて来ているもの、昔から食べているものに間違いは無いと思います。


とかく海外から入ってきたもの、西欧諸国から入ってくる科学的に分析されたものの方が良く見えて、昔から言い伝えて来られたものを“迷信”とか古臭いなどと呼んで煙たがるのもおかしな話しで、日本民族には日本民族に合ったモノがあり、ご先祖様達がカラダを張って築きあげてきた文化や伝統をどう育み発展させて行くかが、我々残された者の宿題だと思っております。


そう考えると、正に操体東洋医学では無く『日本医学』であり、日本の様々な手技・武道などのエッセンスにより醸成された芳醇なワインの様なもので、それをどうお客様に味わってもらうかは私たちソムリエの如き臨床家の手にかかっています。


最高の年代物のワインを出すのも、全然熟成されていない青いワインを出すのも臨床家のさじ加減一つで、出来得れば最高に熟成されたスペシャル・ワインで快の波に酔ってもらいたいモノです。



甲賀者 福田 勇治