東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

人生の達人に学ぶ

おッはようございます。


皆さん、元気ですかン。今週も朝が早いんですよ。朝と言っても、真夜中の午前3:10分ですが、東京は夕方から雨で、この時間もかなり雨足が厳しいです。この雨のなか、BMをブッ飛ばして三茶に戻ってきました。今回もモスバーガーでブログの書き込みにトン走します。


雨のこの時間帯でも、246号線はひっきりなしの車です。運送の大型トラックが多いですね。夜の暗(ヤミ)にはシーンとした静けさの中に、生命のうたげが静かに舞っている、踊っているようです。


東京にもヤミがあるスか?
ヤミの夜空スヨ。この時間には、お星さんもお月さんも輝いてんすから、(今夜は雨でおやすみしてんすけど)


真夜中から大ブレしてますけど、生命のイブキとはこの真夜中のヤミの静けさにあるスね。夫婦のなすコト、恋人同志のなすコトも、このシーンとした、ヤミの世界が演出するんですね。どうぞ、アツアツ、ラブラブにおたのしみ下さい。


そこのおとォさん、彼氏さん、性急に自分の欲求を満たしてはいけませんよ。相手の欲求をまづ、十分にとろけるように満たしてあげなさい、されば与えられんです。いいですね。


ところで、このブログ、1日400件から500件のアクセスがあると聞かされ、ビックリ、そんな多くの人々が読まれているのか?とても興味がありますね。後5日間よろしくお付き合い下さい。


それでは本番に入ります(本題に入ります)映画の撮影シーンではカット、カットが付きものですが、儀式にはカットは不要。
愛がある限り永遠に続きます。


「人生の達人から学ぶ」
橋本先生の三男、保雄さんにまつわるエピソードはつきることがないのですが、現役バリバリのホテルマン時代は、そのダルマさんのような大きな目は人の心を刺しこむような鋭さがあって、とても近よりがたいヨロイのオーラを全身から放っていたように思います。しかし、それは仕事への厳しい姿勢と、厳粛で研ぎ澄まされた精神性とゆるぎない信念に満ちた眼光であり、その眼光の奥にも人の心を大きく包み込んで癒してくれる、あったかな目をもっている方でした。人が大好きで、好奇心旺盛で遊びの達人でもありました。とにかく人生の描き方、その生かし方のスケールが大きくて、信念のもとに自由人。人を魅了する、生き方でした。そんな保雄さんと公私にわたり、ご縁をいただき、育てていただいたことも、私の人生にとっては大きな財産でした。


保雄さんが定年退職を迎えられる年のある昼下がり「三浦君、オレの部屋に来い」と呼び出され、副社長室に入る。その姿はゆったりとされ、背広をはづし、ワイシャツ姿でデスクに腰掛けておられた。ぶっとく黒々としたマユゲにめがねがのっかり、ギョロリとした大きな目で私を見上げる。その目は妙にやさしく丸い。
こんな笑っているおだやかな目をみるのは初めてでした。それもまったく全身から鎧が抜けた姿でした。
なにか、なんて云ったらいいんでしょうね。年齢をこえ、立場をこえて、フーッと親しみの中に溶けこんでいるような、空気を、私は味わっていたんですネ。保雄さんも信念の人でしたし、私も、信念をつらぬく生き方、姿勢をとおしてきましたから、何かフーッと共感して飽和するような、やわらかな空気があったのでしょうか。「三浦君、一服つけていいよ、コーヒー飲むんだろう、うまいコーヒーがあるんだ、入れてやるから待ってな・・・。君に渡すものがあるんだ。ところで、これ、これ、ちょっと待ってな」といい、2枚の絵をもってきて下さった。


一枚は、大きな羽をひろげて舞う鳳凰(ほうおう)、もう一枚はふくよかな笑顔をもつ仏画でした。(二枚の写真がそれです)。




二つとも、診療室に飾ってあります。一枚の鳳凰はベッドの真上の天井に、ちょうど患者さまが、仰臥位に休まれた顔の真正面に見えるように、飾ってあります。(不思議ですね。患者さまの中にも、この絵に気づく方と全く気づかない方がいるんです。何回かの加療をつづけ、良くなってくると、気づくのです。先生、いつからこんな絵が天井に飾ってあったのですか、と・・・・。病んでいる患者さまというのは、心のゆとりも、こころの視野も狭まっているんですネ。目に入ってこないんです。)


06年の盛夏、あっという間に保雄さんは天国に旅立っていかれたのですが、柩の中の保雄さんは、あまりにも小さくて小さくって、肉体の死とは、ちっちゃくなってしまうことなんですね。


ふと、思い出しました。仙台から東京に出てきた当時、保雄さんからオークラに顔を出すように云われて初めて伺った時、いきなり門前払いをくらったのです。「おまえさん、そんな格好でくるんじゃネェ」と、ドスの効いた声で怒鳴られた記憶があるんです。そうやって保雄さんから人生のマナーを学んできたように思います。生かされて生きているという生へのマナーです。それが生かされて生きていく、自己責任なのではなかったのかなと思います。


橋本先生と保雄氏のパワアの違いをふと感じます。先生の生命力は足の根っ子のパワア、保雄さんの生命は腰の根っ子のパワアのように感じます。


ところで、私の人生に大きな影響を与えて下さったもう一人のご子息は、保雄さんの二つ年上のお姉さんでした。○木え○子奥さまでした。私は○木の奥さまと呼んでいました。


私は先生の側で修業中、先生の奥さまを「おお奥さま」、ご長男の奥さまを「奥さま」そして先生のご子息の長女の方を「○木の奥さま」、と呼んでいました。


○木の奥さまにも、私は頭が下がるほど良く面倒をみていただき、可愛がっていただいたのです。お会いするたびに「三浦さん、しっかりやってる?学ぶということはネ、一気に階段を昇ろうとしてもだめなのよ。一段一段、ゆっくりと踏みしめて昇るんだよ」とさとして下さるのでした。
この言葉はドッシリと身にしみましたネ。


そしてもう一つ、心にのこる言葉がありました。保雄さんが副社長時代、東京都の石原知事から、ホテル業界の発展に多大な力となった業績が認められ、その記念のパーティがオークラの平安の間で盛大に行われたのです。
その記念のパーティに「三浦君、君も顔を出すように招待状を送っておくから」と、保雄さんが声をかけて下さったのです。2000名を超す招待客でごった返すなか、その発起人になったのが、海部俊樹元総理でした。
その招待客の中に○木奥さまも招かれ、久しぶりにお会いすることができたのです。保雄さんが壇上に立ち、元総理が祝辞を読まれるなか奥さまは感きわまったのでしょうか、弟の保雄さんにむけて「おじいちゃん、ステキ」と発しているのでした。姉の立場であれば「保雄ちゃん、ステキ」と声をかけるところでしょうが、何度も「おじいちゃん、ステキ」と発しているのです。あとで、何故「おじいちゃん」なんだろうと考えてみました。つまり、父親をほめることで保雄さんの労をねぎらって保雄さんを育てた父親が一番ステキだということなのです。本人をほめるより、父親をほめるのが一番のほめ言葉なのですね。自分がほめられるよりも、親をほめることが自分にとっても一番うれしいことなのだな、ということがよくわかったのです。
オワリ・・・デス。



三浦 寛