東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

渡し

私の治療室は、ビルの一郭に在る。窓が無く、外界で何が起ころうが、隔絶している。


無機的な空間で、観葉植物に生き物の呼吸を感じている。昼休みには、陽を求めて外へ散歩に出かける。


ある患者さんは、こんな私の姿を「先生は、洞窟に籠って仏像(さしずめ、"薬師如来"であろうか)を刻んでいるお坊さんみたいですね。」と形容した。


この部屋を訪れる患者さん達の多くの口から聞かれる言葉がある。「先生は、ずっとここで仕事をしていて飽きませんか?」


そんな時、私のQ&Aマニュアルは、次の仕様で用意されている。


『これは、お釈迦様の若い頃の修行時代のエピソードです。釈尊が遊行中にある河の辺に至りました。かなり幅の広い大河であり、とても歩いて渡れそうもありません。見回してみると、近くに渡し守りと小舟が見つかりました。さっそく彼に頼んで向う岸まで渡してもらうことにしました。舟が岸を離れていかばかりかした頃、釈尊は渡し守りにお尋ねになりました。「あなたは、ここで毎日一年中、旅人達をこちらの岸からあちらへ、あちらの岸からこちらへ渡して過ごしているというが、飽きるということはありませんか?」
すると彼は「いや、そんなことはありません。私は舟で向う岸まで渡す間に、世界中を旅して来られた人々の話を聞くことが出来ます。私はそれが楽しみですし、それで十分満足しております。」と答えました。そうこうしているうちに舟は対岸に着きました。釈尊はにっこりと微笑まれて、また遊行の旅を続けられました。』
私も、この渡し守りと同感です。と


三浦先生は、「操体では患者ではなく、操者の方が"俎板の鯉"だ。」と言われることがある。
その通りだと思う。
患者さんの"からだ"の要求に答えようと渡していると、時としてwonderな世界に誘われることがある。そんな時「人間てすごいな!」(←これは、ほとんど「自然てすごいな!」と同義語です)という畏敬のシャワーを浴びて、魂が浄化される。(無条件に「有り難いな」「生きててよかった」と思える瞬間)
深夜に登山し、頂上で御来光を仰いだ時、思わず手を合わせたくなる様な敬虔な気持ちである。


あの感覚を味わいたくて、私は今日も舟を出す。



山野 真二