東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

五官の五感

操体法では感覚を大切にしている。操体でいうところの感覚というのは、からだの中を音もなく流れ続けるエナジーは、たゆみない生命の営みを告げており、そんなからだの声に耳を傾ければ、気持ちよさという感覚も聞こえてくる、からだの神秘の何と饒舌なことか。天から与えられた贈り物というべきものである。


この感覚に関連して、感覚器官すなわち、五官(五つの器官)の五感(五つの感覚)についても考察してみたい。まずは、聴覚を考えてみる。「からだにききわける」という言葉もあるので、聞く、すなわち、「耳」から入ることにする。


聴覚はある意味で特別な感覚であると言える。視覚を失っても、聴覚があれば世間とコミュニケーションできるが、聴覚を失うというのは、世間とのつながりを全く遮断してしまう。世間から隔離されてしまうのである。聴覚がないというのは世の中で最も孤独なことである。音のない世界なんて健常者である我々には想像できない。


からだが要求する母音の発声については、春のフォーラムで行われたので、まだ記憶に新しいところであるが、今、テーマにしている聴覚とは区別して考えたい。

耳はいつだってオープンだ。何もすることなく聞く事ができる。見るには少なくとも目を開けなくてはならないが、耳はいつでも開いている。快を聞くというのは正確な言い方ではないような気がする。耳はいつでも開いていているのであるから、聞くという行為すらしていないことになる。身の回りに起こっているすべての音がある。そして、耳が要求してくる音がある。その時、その音に聞き入るのは、ただ、耳傾けることなのだ。


私は時々食べ過ぎてしまう。すると、決まって肩が凝る。今もそれに近い感じである。ここで何もかもに耳を傾けてみた。お気に入りの音楽に聴き入っているかのように耳を傾けて見た。実に、すべての音が入ってくる。耳が要求してくるのは何か。傍観者のように見ていると、クローズアップされてくる音が明確になってきた。何と遠くに走る高速道路からの騒音であった。離れた空間にこだました騒音は超低音になって、私の耳が捉えたのである。この音に耳傾けると、肩にある重りのよな塊が、こおりが融けるかのように凝りが和らいでいくのが実感できた。
 
これはやってみると結構おもしろい。音と耳のスピリチュアルな体験を是非味わってもらいたい。


つづく



東京操体フォーラム実行委員ブログ(仮)は
人気ブログランキングに参加しています。
にほんブログ村 健康ブログへブログランキング・にほんブログ村へ