東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

師匠と弟子・続き

大阪の秀樹さん、ブログに目を通してくれていますか。


今回ももう少し「師匠と弟子」の続きを打ち込みます。


赤めだか より


『おまえさん(談春に向かって)、本気で落語家になりてェっていうのか、オレの弟子になりてェなら、まづ親を口説いてきな。親を連れてきて、親の前で頼むんだな。それができなきゃだめだよ。いいな』


談志もすごいヤツだ。どんだけ、肝っ玉すえてオレの弟子になりてェといってんのか。その真意というのか、気骨というのか親にもオレにもきちんと、責任ある誠意を示せ、という訳である。


私の場合、恐れ多くも師匠みづから私の父を神戸から呼び出し


「ご子息なかなか将来有望、見込みあり、しばらくの間儂(ワシ)のところに預けて下さらぬか・・」


と、そんな事を父に話したようだ。私はまさかそんな事があったとはつゆ知らずにいたのだ。それから5年の歳月、先生の元で修業に励ませていただいたのである。


その間、私は一度神戸に帰ったことがあった。父は私を見るなり凄い剣幕で怒った。
「修業の身でよくノコノコ帰ってきたな。とっとと戻れ。修業中は二度と家の門をくぐるな」一怒されてしまったのである。
私は母親に詫びて、戻ることにした。これじゃ修業中何があっても親の死に目に会えないな、と覚悟した。
その開業するまで父の顔を見ていない。


甘かった、先生にも、父親にも悪い事をしてしまったものだと悔いた。
仙台に戻り、先生の元に駆けつける。
師匠は私を見、


「佐助、どうした、もう戻ってきたか」
「ハイ、父からこっぴどく怒られました。修業中は帰ってくるなと言われてきました」
「ハハン、アァ、そうか、よく帰ってきたな」


と、やさしく声をかけて下さった。
僕は改めて遊びで修業してんじゃないんだ、自分の人生がかかっていると思い知った。


マァ、そんなこんだ、だからね、故郷に帰った時は親に一言、こんな先生のところで、こんなこと、習っているってネ、話しておくんだよ。


お・わ・り


三浦寛


注)『佐助』とは、橋本敬三先生が三浦理事長につけたニックネームです(畠山)



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