東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ふたつ

         ふたつ
                  今 昭宏


私が温古堂で学んでいたころの操法は、患者さんに決まった方法
を覚えてもらう時代から、ひとりひとりの原始感覚をさらに
尊重する操法へとシフトした時代でした。


ですから操法も一般的に知られているような、息を吐きながら
楽なほうに動いて三〜四秒たわめて瞬間脱力する。これを三〜四
回繰り返す。という決まった形を指導する操体法から、原始感覚
優先の操体法へと移り変わった時期でした。
私の温古堂時代1983年〜1987年はちょうどそんな過渡期だったの
かも知れません。


私は1987年に温古堂を卒業し独立開業をしました。
丁度その年、橋本敬三先生の卆寿のお祝いに三浦先生との共著、
操体法治療室(柏樹社刊、現在たにぐち書店刊)を出版しました。
私は前半を担当し、当時の温古堂の雰囲気や橋本先生の日々
の様子、操体法操法の実際などイサキに載せたものをほとんど
そのまま使ったのでした。
原稿の段階からすべて橋本先生に目を通してもらい、
「若い人たちでどんどんあばれろー!」と励まされました。


私の項を橋本先生が読んでいて大笑いした所があります。
ホント大笑でした。
それをここで特別に紹介します。
それは、今回の操体バランス運動研究会でも講演し大活躍
の平さん(加藤平八郎さん)たちと蔵王にスキーに行く前の晩に
ミヨちゃんが目覚まし時計を二つかけて寝るという所でした。
先生は目覚まし時計を二つかけるところが妙に気に入ったみた
いで「二つもかけるのかー!」と大笑いしたのでした。


当時は日曜日はほとんど山形蔵王行きでした。
橋本先生は留守番係でスキーはしません。
行くのは橋本先生の息子さんの今は亡き信先生と平さんと
ミヨちゃんと私の四人がオリジナルメンバーでした。
いつだったか三浦先生も一緒に行ったことがありました。
なんかなつかしいです。


それから、温古堂でのエピソードなどを書いて原稿を橋本先生
にチェックしてもらうのですが、敬語を使っている所があると
直されるんです。
「先生がいらっしゃいました」などと書いたら赤ペンでペケ
なんです。
「来ました」だといいんです。
だから私の文章はほとんど敬語が使われていないと思います。
橋本先生の希望なので、、、。すみません。



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