東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

”喜怒哀楽” DO!怒っておりますぞ

喜怒哀楽『怒』の番がやって参りました、実を言いますとこの“怒”が一番私にとっては書き辛い感情です。
人生の中で最も長く携わってきた職業が営業職であったこともあり、無意識のうちに“怒”の感情をコントロールしてしまっていたようです。
ご存じの通り営業職での最大のタブーが“感情”を表に出すことであり、感情をコントロールし、逆に相手の感情の揺らぎを冷静に読みながら駆け引きを行っていくのが営業職ですから、
考えてみると人の裏側を見ているようで、悲しい感じですねぇ...
そんな私が最近怒りを感じたのは“若いお母さん達の子供への接し方”です。
これは島根だけに限らず、東京にいた時にも見かけた光景でしたので、一般的にこの様な傾向にあるのだと思います(スイマセンこれが全てでは無いですので・・)

何故か私は子供が無茶をする現場によく出会います、よく見かけるのが書店での光景です。書店って本当に“傍若無人チャイルド”の溜まり場なので、
皆さん今度は気を付けて観察するようにして下さい・・・
お母さんは自分が読みたい本を読んでいる、子供も自分が読みたい本を見ているのですが、飽きてくるのでしょうね・・・次第に遊びが入ってきて、平積みしてあった本を“グシャ”と崩しました。
当然の事ながら床に本がバラバラと崩れ落ちました。“むっ!”私の左眉がピクッと動きました、子供の方を見ると片付けるでもなく、
悪びれる様子もなくスタスタと母親の方へと歩き出しました、年の頃なら保育園に行く位のお年頃でしょうか、親子でどういうリアクションをとるのか黙って横目で観察をしておりました。

す・・すると母親、確実に横目で崩れた本を確認したのです!そう、私は見たのですが、母親取り敢えず“無視”・・・ ヾ( ̄o ̄;)オイオイ 
私は横目が裂ける位の勢いでガンミしていたのですが、母親無視・・・無視・・・無視
時間にして2〜3分位のガン飛ばし大会に成ったのですが、私の方が我慢出来なくなり、セッセとお片付けを始めました。
しかも、下から母親の顔を上下で睨み付け、見上げながら片付けていたので、多分手伝ってくれるのだろうと思っていたら、
ふと視線を母親から切った瞬間に、子供を連れて消えたのです・・・ダッシュ!((( 三( -_-)
早すぎる・・・余りの早さにビビリました、意味が理解出来ませんでした。
“脱兎の如く”って言葉では使いますが、実際に目前で見たのは始めてでした。

以前は本屋で注意をしたら、「書店の方ですか?」と質問され、「いいえ」と答えると、どの様な権限でその様なことをおっしゃるのですか?
と物言いこそ丁寧ですが、全く筋の通らない突っ込みをするお母様もいらっしゃいました。
さすがの私も開いた口が塞がらず、「私は片付けなさいと注意をしただけですよ」と言うと
「躾は親の役目ですので他人様に言われなくても解りますので」と悪びれることもなく言われました。
“ぶちっ”って久々に私の血管が切れた音がして、後は捲し立てるように
「てめの躾がしっかりしてないから、他人がわざわざ言ってんだから、スイマセンでしたか、ありがとうございましたでいいんじゃないの!
そんな下らん屁理屈言う前にてめえが躾なってねぇんじゃねぇのかい!ごるぅああぁ!!」って気が付いたら書店で大注目でした・・・

母親はスイマセンの一言もなく、睨み付けながら去っていきました・・・何なんでしょうか・・・怒鳴った私が悪者で、本を拾っていると私が発狂して本をぶちまけた様にすら見えるので、怖いです・・・


ある時などは某ファミレスで食事をしている時に通路を挟んだ反対側の2人の母親とその子供達でしたが、これは更に輪をかけて酷かったのですが、
母親二人は二人でお茶に来ていると思われるのですが、お互いが下を向いてメールをうっていました。これだけでも結構違和感ある風景なのですが、凄いのは子供達です。
裸足でファミレスの中を駆け回っていましたが、それに飽きて、ついにはテーブルの上に上がって遊びだしました・・・

そもそも私は子供の頃から親に躾けられた中に、テーブルの上に上がるなんて状況は躾以前の問題として、想定外の状況であり、ビックリを通り越し、アングリでした。
さすがにバカ親も一度は注意したのですが、テンションが上がった子供が聞く訳もなく、そうなると放置プレイになり、
親は一心不乱にメールをうっているという異様な光景が眼前に広がっていました・・・

堪忍袋が又もや破れてしまい、思わず子供の方を見ながら、“パン!”って手を叩きました。子供達は音に気付いて、ビックリしたような顔をして私の方を見たのですが、
又、何事も無かったかのように騒ぎ出したので『これ!これ!下に降りて!』『駄目だよ!テーブルの上は食事をする所で上がる所じゃないよ!』って言ったら、
さすがに母親が周りを見つつも、手を引っ張って下に降ろしバツが悪そうに、「スイマセン・・」って仕方なく謝って、お前がうるさいから出て行くよ的な雰囲気を出しつつ、
その場から立ち去って行きました。

勘違いして戴きたくないのは、決して私は子供ちゃんそのものが”嫌い”ではないということです。
私自身、人間よりも着ぐるみやゴリさんの人形に近いと子どもたちからは好評で、小さい子には身体をジャングルジム代わりに遊ばれたりもしますし・・・
子守も結構好きで、一緒に遊んだりも苦ではありません、が!問題なのは要は親の対応です。
対応と言うより考え方なのでしょうね、騒いでる子供を注意した時の親の共通点は『子供だから騒ぐのしょうがないじゃなぃ・・・あなたも子供の頃があったのなら解るでしょ・・・』
『ちょっと位騒いでいても許す位の寛容さが無いのかしら・・・』
的なオーラを親が出すのです。
確かに!子供に対しての寛容さは有りますが、『馬鹿親』に対しての寛容さは一欠片も有りません(キッパリ)・・・
確かに私にも子供の頃は有りましたし、騒いで迷惑も沢山かけました、ですが大きく違うのはやはり”親”の対応でした。
私の家なんぞ、男兄弟2人ですから、荒っぱしいことこの上もなく、騒いでいれば”問答無用”で母親若しくは父親のゲンゴツが頭に飛んできて終了でした。
『やかましぃ!』『ゴツン!』まぁ当時はよく両親に叩かれたものです、最近巷に居る児童心理カウンセラーなどと称している方たち曰くは「幼少期の暴力的指導は心に傷をつける」
などとまことしやかに言われますが、私らに言わせればチャンチャラ可笑しい、へそで茶を沸かす状態です。
当然、愛のない暴力は”虐待”であり、行うべきもので無いことは言わずもがなですが、かと言ってそんな言葉を真に受けて親が子に遠慮するのは
本末転倒であり、”躾”は学校の先生が行うものなどでは無く、絶対に『親』が行うもので、時に手を挙げてでも理解さす必要は有るのです。
それが、本当の親としての責任であり社会という大海の荒波に出していくために必要なことなのです。
ああ・・・またまた話が大きく逸れましたが・・・

話を戻しますが、”この大騒ぎ親子たち”と遭遇した時に本当に驚いたのはこの後でした。周りにいた他の大人の方達が、口々に「本当に最近の母親は躾が成ってないよねぇ〜」
「あんな子はロクなもんにならんよ!」などと口々に言っていました...
その周囲の人達の親子に対するコメントを聞きつつ、何故だか次第に腹がたってきました・・・おいおい、ちょっと待ってよ・・・
何であんたらこそ何にも言わないんだ!貴方たちも少なからず不快に思っていたのなら、何で声を上げて“止めなさい!”とか“降りなさい!”って子供や親に対して言えないのだろう!と

確かにその親や子供は論外に悪いです、ですが!それを見て見ぬ振りをする周囲の良識ある大人達にも問題があるような気がします。
確かに自分の所の子供や孫でも無いですし、娘でも無いかもしれません、ですが悪いことをすれば、叱る、解らなければ言って聞かすのが大人の役目だと思いますし、
それをせずに遠巻きに眺めているのは知らないよりタチが悪いような気がします。


私の幼少期の記憶に鮮明なのは近所のおじさんやおばさんが両親以上に怖かったということです。近所で遊んでいて悪いことをしようとでもしていれば、
透かさず“こらぁああ!”って怒声がとんで、掴まろうものならばゴツン!って叩かれたりと、しかもその事が親の耳にでも入れば、親と一緒にそのおじさんの家に謝りに行ったりと、
今の親なら逆に叩いたおじさんちに怒鳴り込みに行くと思います・・・

それ位に昔は他人の子供だろうが、自分ちの子供だろうが分け隔て無く“間違ったことをすれば当然の如く叱る!”という“大人たち”が特別じゃなく普通にいたのです。
多分!多分ですけどその当時にそのおじさん達に、何で他人の子供を叱ることが出来るのですか?って質問をすれば、即決で『間違ったことをすれば怒るのが当たり前だろう!』って言われると思います。

そう、当たり前なのです、悪い事をすれば叱る!良いことをすれば褒める!この当たり前の“メリハリ”のある子育てが出来ていないからこそ、
今の教育も含めておかしくなっているのではないでしょうか。
全てにおいて子供が中心、食卓ですら子供が食べられるものを作り、大人用と子供用の食事を二種類作るアホな食卓・・・
昔は食べられないなんて言おうものなら「じゃぁ 食べなくていい」って言われてとっとと片付けられたものです。


親も子供も同じものを食べるからこそ“食卓”があり、会話があるから絆が生まれるというごくごく当たり前の構図が今や無くなりつつあるのが嘆かわしい限りです。
今の子供達に言うと直ぐ“うざい”って言われそうですが、うざくてもいい!うざいのが本来、大人なんですから、
子供の顔色見ながら遠慮してモノを言うのでは無くズケズケと言わなければならないことは言い『社会で育てる』という気持ちで子供達へ接して行ければ
多少なりとも“モノの言える現代版頑固親父たち”の誕生となると思います。
街のあちこちで、愛のある“教育的指導”がなされることを願って止まない怒り親父でした・・・