東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「生きていく生き方」

橋本先生は、人の生き方について、こう問いかけてくる「どれだけの人が生きていく生き方に気を配っているのか」・・・と。「生きていく生き方」私はその言葉をくりかえし、くりかえし口にしてみる。人が生きるといふことは、その生き方が問われている。その生き方が問題なのに、どれだけの人が気を配って生きているのかと、私達に問いかけているのだ。この命ありきの生の営みになぜ無頓着、無関心でいられるのか、と問いかけている。先生は「生活」とは言っていない。生活には個々の工夫や楽しみ、潤い方がある。しかし自分の生にかかわる生き方とは、生活の中のシャンデリアとは訳が違ふ。

 「生き方に気を配る」、と言われるには、その生き方に適ふ営みがある、と言われるのだ。人は天然自然の現象に生きているし、それを左右することも出来ない。人も、また、その現象そのものなのだ。人はその生き方がわからなくなっている。その生き方を忘れてしまった。

つまり、生き方の設計図を失ってしまったのだ。人は何とかこの生をしのいでいるのだが、全く生き方に責任が持てなくなっている。医学者も、わかっているようで、わかっていない。人間は豊かになり過ぎて、肝心なことを見失ってしまった。余りにもその代償は大きすぎる。


「規制と制限」

 ビジョンSは今回の作品から字数に制限を設けることになった。規制と制限の中でいかに自分を語るか、なかなか勉強になる取り組みである。毎年11月の末になると、医道の日本社から「新年のことば」の依頼が入る。かれこれ十数年続いている。依頼の通知には、「800字以内に納めよ」と明記されている。字数がこのように決められている中でまとめていくのはかなり苦しいものだ。苦手と言えば苦手であるが、いかに言いたいことをしっかり埋め込むか、言葉の選択と表現が問われる。これも、毎年続けていく中で、コツコツと身につけていく。十数年関与している内に、一万五千字以上にふくれあがっているはずである。医道の日本からは、毎年執筆をお願いされているが、今から考えることでもないが、一年間活動しておれば、何か書きつけるものがあって、うまく納まりがつくものなのだ。ビジョンSも規制と制限の中で、期間に言葉の内容を吟味し、文面に生かせるように努めている。原稿にむかっている気分はとてもいい。つい勢い走って書き込み、その勢いで提出してしまうと、編集の段階で手に負えなくなる。担当者もお手上げ状態だ。そこで、2、3日その原文を塩漬けにして寝かせておく。再度、今の自分に帰って改めて再読してみると、かなり絞り込めてくる。表現のおかしさ、削除した方が良さそうな活字が見えてくる。その上で、もう一日塩漬けにして仕上げに入ると、作品にも息魂が入る。

今僕は、たにぐち書店の「月刊手技療法」の執筆は休筆中だが、裏方に回って実行委員のメンバーを執筆者に加え、二ヶ月づつ連載をお願いし、その校正にあたっている。最初の4、5月号を山野氏にお願いし、6、7月号は日下氏にお願いした。人様の原稿を校正するのは意外に手がかかる大仕事なのだ。文面の内容そのものが読めてこない時、勢い余って文章がくどくなり、流れが止まってしまっている時、注釈を必要とする時、カギ括弧が多すぎて誰の話なのかわからない時などは、とてもとても神経を使い集中している。さらに作風を壊さずに手を入れることにも気を配る。私も勉強させていただいている。有難いことである。



(畠山注:ビジョンS 「VisionS」秋季東京操体フォーラムで配布される小冊子。フォーラム実行委員の執筆による。なお、Vision Sotai と Visionの複数形をとっている)