晩年の橋本敬三先生は、「操体」のことを「日本医学である」と口にされることがあった様です。
この稿では、筆者が「操体」即ち橋本敬三先生の生き方(行き方)から、日本的だな、と感じることをまとめてみたいと思います。
1 野次馬根性
「うまいかまずいか、まず食ってみろ。食いもしないであれこれいうな。」橋本師の口からよく出て来た言葉である。
師曰はく、これを“野次馬根性”と言う。若い頃から多くの文物を摂取し咀嚼し自分のものとして来られた。キリスト教あり、儒・仏・道あり、西洋医学あり、東洋医学あり、カイロプラクティクあり、正体術あり、近代あり、古典あり・・・・・。
無節操にも見える雑食性である。こだわりが無いから、何でもうまそうに見えるものには手を出す。自分で噛み分けてみて冷暖自知、うまいと思うものを吸収同化する。
その核となるものは、師の「志」である。それは、「救いの生命観と、それに基づいた医学の確立」であった。
そのために、与えられた条件下で自分の手の届くものは全て、材料であり道具であった。それらを自分なりに工夫して、有難く使わせて頂いた。
ここで、操体法創始者・橋本敬三先生御自身による操体の定義を挙げておきたい。
『操体とは、自然法則の応用貢献である。』
『操体とは、静かに呼吸を通して「快」を味わうことである。』
筆者は、「操体は、本来無形である。」という捉え方をしている。
山野真二