東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

思いがけない繋がり

ニセ学生をやってた頃の僕は映画の仕事をしたいと思っていました。出る方じゃなくて作る方ですね。
今考えると才能も無いのに、と思うんですがその時は本気だったんですね。
修業と思って、眼を開いてる時間は映画以外は眼に映らないようにしようと映画ばかり観てました。(引きこもり、という説もあるが)
そんな訳で今でも映画は大好きです。なかなか観る時間がありませんが。


好きな映画はたくさん有りますが、最近より好きになって来た映画があります。
炎のランナー」というイギリス映画です。
1981年のアカデミー賞を穫っているのでご存知の方も多いと思います。ヴァンゲリスの音楽も有名ですよね。
もう28年も前の映画なんですね。今調べて自分でビックリしました。
僕は荻昌弘さんがやっていたTBSの月曜ロードショーで初めて見て、その時から大好きになりましたが、最近あらためて観る機会がありこの映画が好きになっています。


炎のランナー」は1924年のパリ・オリンピックに出場したイギリス・ナショナルチームの2人を、実話をもとに描いています。
一人はユダヤ人である事で受ける差別、偏見を勝利ではね返そうとするハロルド・エイブラムス。もう一人は「走る時、神の歓びを感じる」と神のために走ろうとするエリック・リデル。対照的な二人を描きながらドラマは進んでいきます。操体的に言えば「報い」と「救い」の対比でしょうか。批判を受けながら、プロのコーチをつけてまで勝利を目指し努力するエイブラハムズ。「神のために走る」という信念を貫けるのか厳しい選択を迫られるリデル。これからご覧になる方の為にストーリーは書きませんが、実話なだけにクライマックスの感動が胸に迫ります。
「神を讃えるために走る」という在り方は当時の自分にはとても新鮮で、またそれを貫こうとするリデルの姿に憧れました。


この映画には好きな言葉がたくさん出てきます。
「じゃがいもの皮むきでも完璧に行えば神を讃えるものとなる」とか、「後悔はある、だが疑問は無い」(これだけでは意味がわかりませんが重要な場面の台詞です)とか。昔映画を観ながら口真似したもんです。
そんな中であらためてこの映画を観て響いた言葉がありました。
「ゴールに向かって駆け抜ける力はどこから来るのでしょう。それは内からです」という台詞です。今のスポーツ事情からは考えられませんが、リデルがレースに出た後に集まった観衆に神の教えを説く場面が出てきます。そこで出て来る台詞なのですが、苦しい生活を送る人達に対して人生をレースになぞらえてこの言葉を言っているのです。以前観た時にはこの台詞を聴いても「そりゃそうだ」くらいに思っていたんですが、今回観ていて分かったのは、この人は自分のからだの内に神の力を感じて走っている、ということなんですね。自分の内から湧き出てくるものがある。それは「自分」が創りだしたものじゃない、そういうことなんですね。今更なんですが、分かるのに20年以上かかってしまいました。以前は分からなかった台詞が響くというのも実感があればこそなんですが、自分がイノチを産み出した力と繋がっていると思うようになったのは、操体に出会ってそれも本当に最近のことなんですね。内から湧き出てくる力を感じられるという事がなによりも自分の存在を支えてくれるんですね。


映画ではあまり描かれていませんが、リデルはその後宣教のため中国へ渡りました。そして中国を占領していた日本軍の強制収容所で43歳の若さで病死されています。
リデルは収容所の中にあって日本人に酷い扱いを受けていても「日本人のために祈りなさい」と子供たちに教えていたそうです。偉大な人というのは困難の中でも輝くものなんですね。そう教えられた子供のひとりは、収容所で奥さんにも子供さんにも知らされる事なく葬られるリデルの姿を観て、彼の遺志を継ごうと決心し、その後宣教師となり、日本で宣教されています。その方の書かれた本が出ています(スティーブン・メティカフ著「闇に輝くともしびを継いで」いのちのことば社)。リデルのその後の事はこの本で知りました。ドラマティックな映画のその後にあった物語と、それが日本人である自分と関係あるということが悲しくもありうれしくもありました。

からだの内にある神。継がれて行く遺志。伝道師。僕は何となく操体と重ね合わせてこの映画を好きになっています。

闇に輝くともしびを継いで―宣教師となった元日本軍捕虜の76年

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