東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

人は見た目が9割?

ちょっと古い本で恐縮なのですが、2005年に発刊された本のタイトルで人は見た目が9割」(竹内一郎著)と言う、タイトルに大変インパクトの有る本があったのですが、最終的には85万部以上は当時売れたのではと記憶しています。
別にこの本を読んだ訳でもなく、簡単な内容紹介に目を通しただけなので、本の内容そのものを云々するつもりはないのですが、この「人は見た目が9割」というフレーズに妙に惹かれるものがあり、自分なりの解釈で「人は見た目が9割」を考えてみたいと思います。

このテーマは私だけでは無く、一度は誰でも考えられた事があるのではと思います。男であっても女性であっても「人よりも格好良く見られたい!」「人よりも可愛く見られたい!」とその様な願望は持っているのが普通であり、無いと言われる方が不自然だと思います。
水嶋ヒロの顔がくっついていれば人生変わるだろうとか、柴咲コウの顔なら求婚されまくりだろうなどと、あらぬ妄想を抱くのも至極当たり前の事だと思います。

もっと極論で言えば“美男美女であれば一生幸せなのか?”と考えたりもしてみますが、これはゴールを何処に置くのかで大きく変わるのではないかと思います。
“結婚”をゴールにするのか、数多くの浮名を流す“恋愛”を目的?にするのかです。
目標?を単純にゲームの如く入れ替り立ち替り有りと有らゆる異性とお付き合いしたいと思うのならば、不細工(失礼。。。)よりもパッと見が良い美男美女の方がお付き合い出来る確率は上がるでしょう・・・

スピード化が進む昨今、人間は三秒でモノの善し悪しを判断するのだそうです。因みにインターネットでホームページを閲覧した時に自分に有用な情報かどうかを判断する時間がこの三秒だそうで、HP作成業者はキャッチーなHPを作るのに試行錯誤するのだそうです・・・
まぁよく考えてみれば、テレビのチャンネルもパッと見てパッと変えるって感じで、正味三秒かかってないのかもしれません・・・

これは対人間に対しても同じ事が言えるそうで、我々も知らず知らずの内に三秒で勝手に初対面の人に判断をされているという事です(最近Googleで話題の美人時計とかも・・・)。
「う〜ん・・・不条理であるぞよ」と思わず言いたくなるのですが、考えてみれば我々野郎連中(女性も?)は街で歩いている女性を見る時でもチラッと見て(三秒どころでは無いかも)自身の好みカウンター(ドラゴンボールに出て来る強さを示すカウンターの如く)に好みである無しを本能的に関知し、好みでなければ見て見ぬ振りをしますし、何らかがヒットすれば暫し見とれたり妄想したりと(き・・キモイっすか?)一瞬の間に様々なドラマが生まれるのですが、これなどは相手の方の性格や人間性などは脇に置いて単純に見かけだけで判断をしている訳です。

これは単純に“視覚”プラス、勝手な我々の想像力が成せる技だと思います。パッと見で可愛いいと感じ、勝手にこんな感じだから性格もこうじゃないかと自分の良いように想像したりして・・・
ここまでの話だと完全に人は“見た目が9割”が勝者で、我々見た目ガッカリ派は明らかな敗者となる訳ですが、そうはいかないのが人間の面白い所、むしろ動物の面白い所と言って良いと思います。
ファースト・アプローチが視覚ならばそれ以外の段階が非常に面白いのです。
第一段階で視覚、そこから次の第二段階は“言葉”そう聴覚での判断と成る訳です。
いわゆる“声”の要素は好き嫌いがハッキリ分かれると言いますか、顔は格好良い・可愛いと思って話をしたら、ガッカリしたと言う話もよく聞きます。妙に声が高いとか(声の高低)、後は喋り方ですね、舌っ足らずだったり、妙な喋り癖が有ったりなどと・・・
これは自然界での動物の求愛行動においてはより顕著であり、視覚に関してはクジャクの羽根を広げてアピールする行為など、そのために進化の過程で外見的に変化していった動物も数多く存在します。それ位に動物であればあるほどより第一印象でのインパクトが求愛での重要なポイントに成る訳です。
第二段階も鳴き方で求愛をする動物(身近な所では猫様も)など第一・第二においては動物も人間も然程大差は無いような気がします。
そう考えると一目惚れが多い方やルックスが一番!などと宣(のたま)う方はより動物に近い方だという事が言える訳ですね・・・ほら、だってカラオケで歌を聞いたら、ルックスはイマイチだと思っていたけど、声の高音の伸びでやられたとか、低音の渋さが子宮に響いたとか、声も馬鹿になりませんねぇ・・・何かこの話だけでブログ二、三回分は書けそうなのでこのへんにしときますが・・・

え?何が言いたいかって?あ、これって別に人の恋愛観やら結婚観に関してどうこう言うつもりは無く、臨床家にとってもこの『見た目』のは非常に重要な要素だと思うからです。

実際、色々なクライアントの方達から結構!?勘違い臨床家の先生が多数生息するのを聞きます・・・怪しげな?作務衣を着て不敵な笑みを浮かべつつ出て来る先生・・入道坊主の頭に眉毛無し、何やら別の業界の匂いがする先生・・白いのかグレーなのか解らない、或いは洗ってないのか?と思われる微妙な匂いのする白衣もどきを着て出て来る先生・・崩れそうな治療所に湿っているシーツの上に寝かされた先生・・妙にクライアントに迎合する、ハッキリ言ってくれない先生・・
これ実際に聞いた話です・・・最後の二つは関係ないように思いますが、見た目とは本人の姿だけでなく治療所がどう見られているか、治療所の中は?治療所は臨床家の顔の様なものですから、当然と言えば当然ですが、迎合先生や押し付け先生など言い出すとキリが無いのでこれ位にしときますが、せめてせめて・・第一印象位は臨床家として恥ずかしく無いように見られたいモノです。              
マイナスからスタートするのと、ちょっとプラスでスタートするのではクライアントの心の窓が開いた状態から診るのと、不信感を抱かれながら診るのでは大きな違いです!
幸いな事に我々フォーラムのメンバーに関しては良いお手本がいらっしゃるので、大きく脱線する事は無いと思っています。

私も出来る事であれば目指したいと思っているのが、三浦理事長なのですが、多分と言うよりは間違いなくフォーラムの男性諸氏の中では岡村実行委員長三浦理事長がファッション・センスに関しては双璧だと思います。
服の着こなしは勿論の事、アクセサリーの使い方やセンスも抜群で芸風が違うのでそのままマネは出来ませんが、是非、目指したいものです!
私が理想とする臨床家像(あくまでも外見の事ですが)はパッと見、職業不定で何をやっている人なんだろうか?と思われる事です。
最悪なのは如何にも○○というパターンですね、どう見てもサラリーマンとか工場勤務とかではなく、サラリーマンでも無い様だし、かと言って・・・何してる人なんだろう?的な“謎のおっさん”的な臨床家が理想です・・・

襤褸(ぼろ)は着てても心は錦』などと自身がオシャレに無頓着な事を敢えて肯定する(特に男性)人も居ますが、それは自他共に認められる中身があって始めて成立する事で、その道の名人クラスやファッション業界のカリスマがジャージで出てくれば、ニュー・ウエーブだ!とか言われるでしょうが、そうでなければ只の加齢臭漂う“普通のおっさん”であったり、娘さんから一緒に歩くのいやぁ・・などと言われてしまうのが関の山です。

私もどちらかと言えば、ファッション関係には疎い人で、正直、着られれば何でも良い派だったのですが、師匠である畠山先生に幾度となく着るモノには気をつけた方が良い!見られている意識を特に男性も持つべきだ!という話をして戴き、最近は自分なりにチョイとずつ気をつけるように成りました。
ブランド物とかも、以前は否定派だったのですが、要は考え方なんだと思うように成りました。
“一流は一流を好む”とよく言われますが、三浦理事長は身につけていらっしゃる物どれ一つとっても、一流の物であり、又、それが嫌みでは無く寧ろ自然であり、格好良いのです。
よく街で見かける若い子が似合いもしないシャネルのバッグやブランド物に身を包んで闊歩しているのを見ると、あぁシャネルが歩いてる・・・とかシャネルが泣いてる・・・とブランドに着られている感じで、逆に薄っぺらく見られてしまいます。
そう考えると一流を着こなす、或いは身につけるには自身が一流に成らなければ笑われるだけなんだと。
一流を身につけることは自身が一流に成るための投資でも有り、一流を身につけても違和感無い自分自身がブランドに成るためのステップなのだと思うように成りました。
逆に考えると一流を身につけるからこそ、それに負けない様に中身も一流に成ろうという気持ちも芽生えるのではないかと・・・
クジャクとはいかないまでも、幾つになっても異性に腕を組んで戴ける位の“オシャレ・オヤジ”&“謎のダンディー叔父様”は目指したいものです・・・


福田勇治