東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

気概

いやぁ。。。いよいよ明日から秋季東京操体フォーラムですねぇ、緊張もピークに成っており、回数重ねてもこのドキドキは変わらないですね、私達実行委員はフォーラムの運営も行っているのと同時に当然の事ながら、勉強にも来ている一参加者でも有るので毎回新鮮な感動、改めて操体の凄さを感じることが出来、私ら地方者にとっては一年の総決算的意味合いもあり、ドキドキワクワクの二日間です明日から宜しくお願い致します!

気が付けば今回のブログも今日が最終日です、毎度の事ながら頭を痛めつつ、出来る限り新鮮な感覚を内容に反映させたいという私の欲求から、ギリギリの状態で書いているので本当に痺れます・・・そんな新鮮なネタなので今の私の感覚により近いと思います・・・

ところで最近テレビを見ていると『友愛』って言葉を某総理大臣が連呼しているので気になり、辞書で引いてみると『兄弟、又は友人間の情愛・友情を抱いていること(さま)』う〜ん。。。解りにくい・・『友愛政治』で引いてみました『これからの世界は、人種、宗教、民族、国家、言語の壁を超越し、ともすれば乖離(かいり)し、対立しがちな人間と人間、自然と人間との真の共生を目指す時代のこと』だそうです、これは某総理のオヤジさんが掲げた政治理念だそうで、意味を見れば見るほど益々解りにくいと言いますか、解るんだけど、納得は出来ないって感じでしょうか。。。

テレビで某総理が「友愛・友愛」を連呼すればするほど、何か(┐・・┌)ゲッソリ…って感じで、胡散臭い(スイマセン)と言いますか言葉が上滑りで、日本を取り巻く外交事情やら経済状況を考えると余りにも余人離れしているといいますか、言葉に力が無いと言いますか、空念仏の様で耳障りは良いかもしれませんが、喧嘩に弱い奴が喧嘩するのが嫌で理由を美化しているようにしか見えない感じで、他国はそんなに甘くは無いぞ!って思わず言いたくなる今日この頃です・・・

これって偶然と言いますか、海の向こうアメリカでも何やら同じ様な匂いのする方が大統領に成られて、何とかの一つ覚えのように『Yes We Can!』を連呼し、これ又耳障りの良い言葉を駆使し、ノーベル平和賞などを戴いておられますが、このお二人に共通なのは何か言葉が伝わらないって事なんですよねぇ・・・

あ・・スイマセンいきなり毒付いていますが、この様に耳障りが良い言葉って信用出来るかどうかはその言葉を吐いている人の『気概』だって思いませんか?
“子曰(しのたま)わく巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すく)なし仁”かの論語の中の一説を思い出しますが、意味は『先生がおっしゃった、言葉づかいが上手でよどみがなく、表情やしぐさなどの物腰が柔らかくても、そればかりを意識するような人物では、人を思い遣る仁の心が育つことはない』何かそのまんまって感じがします・・・

でも、悲しいことに今の世の中の全体的な雰囲気としては“巧言令色”の方が喜ばれると言いますか、当たり障りのない、耳に心地よく心に届かない言葉が好まれます・・・
ですが、この巧言令色を吐く人の共通点は言葉に魂がないので、いざとなったら尻をからげて眼前の障害から逃げて行ったり、あの時はそういう状況だったから、仕方無かったとか言葉に責任を持たないと言いますか、言葉を道具として弄ぶしか知らないので、言葉がその人の内側から絞り出される魂の叫びであったり、訴えであるものだと言うことを知らないのです。
ですから腹の据わっている人と会ってしまうと直ぐにボロが出てしまい、化けの皮が剥がれてしまうという失態を行ってしまうのです。

どうやら今は時代が荒んでいるので言葉だけは“美辞麗句”を並べ心の安寧をはかろうとでも思っているのでしょうか?
この傾向はどうやらどの業界でも共通のようで、ともすれば全国的にも狭い操体の業界に関しても同じ様なことを感じることが有ります。

橋本敬三“息・食・動・想+環”の教えを説いておられますが、中でも“想”である想念の部分は取り方によっては如何様にも解釈が出来“心の平安を保つには言葉を統制することが大切である”“言葉は運命のハンドル”など様々なキーワードが操体の中でも出てきますが、この中でも想念を統制するには“言葉”の力が重要であると師も説かれており、言葉が使いようによっては諸刃の剣に成るのだと、強い注意喚起をされているような気もします。

操体は確かに素晴らしい次代に受け継ぐべき“Maid in Japan”『日本医学』です。
“動診”或いは“快適感覚で治癒”を促すという、他の手技療法には見られない様々な特長を持っており、究極の未病医学であり誇るべきものだと思います。
但し、余りにも大事に思うが故に、操体の考え方や橋本敬三を必要以上に神格化してしまったり、崇め奉るようなことをしてしまうと、本末転倒であり『世界平和を願う操体の考えに反してる!』などと変化を恐れる故に訳の解らない事を言ってしまう、守るだけの弱体組織に変化してしまう危険性も孕んでしまうからです。

組織が変化を恐れ守りに入ってしまえば、後は弱体化か崩壊しか道は残っていません。
風通しの良い組織内部の環境を作り、変化を恐れる事無く、新しい議題にも積極的に取り組んで行く姿勢こそがこの混沌の世にあって生き残っていく組織の姿であろうと考えます。

耳障りの良いことだけを言う人間を周りに置き、苦言・諫言を言う本来であれば組織になくては成らない大久保彦左衛門的存在の人間を排除するといった“昔の名前で出ています式”過去の栄光にひたすらすがる組織では特に若年・青年層には相手にされない時代に成ってきていると思います。
唯々、昔はこうだった・・とか・・それは貴方の考えで、受け入れられない・・とか折角、先人が血の小便を流しつつ築き上げてきた素晴らしいものであっても、変化出来ない、受け入れられない組織の器の小ささで無駄にしてしまえば、操体という名前だけの中身の無い、抜け殻自己満足のマスターベーション組織にしか成らないとも言えます。

少なくとも実践者として操体の看板を掲げ現場で汗をかいている臨床家は美辞麗句では語れない臨床の難しさも知っていますし、日々クライアントの身体と真摯に向き合い、結果を出している自負も持っています。
その実践者の言葉にこそ真実があり、本物の操体との出会いを待っている方達へのヒントが溢れていると確信しています。

真の操体を求めるなら私は自信を持って言えます、東京操体フォーラムの門を叩け!と、そこには現状に満足することなく日々変化し続ける仲間と、間違いがあれば指摘し共に成長しようと願っている熱い意志がそこには有ります!
『求めよ、さらば与えられん 尋ねよ、さらば見出さん 門を叩け、さらば開かれん』新約聖書「マタイによる福音書」より
 
今週一週間、本当にありがとうございました、来週からはお待ちかね三浦理事長の出番です、今回はどんな話が聞けるか楽しみです、仙人World満載ですので、お楽しみです。


福田勇治