東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

木蓮

ポール・トーマス・アンダーソンは僕の好きな映画監督の一人です。
ポルノ業界の人間模様を描いた「ブギーナイツ」が一番有名でしょうか、寡作ではありますが一本一本素晴らしい作品を作っています。その中でも僕が一番好きなのは「マグノリア」という作品です。

何の関係もなく散りばめられたように見える登場人物たち。その人たちがある時「ウソみたいな」「映画のような」思いもかけない「現実」によって、それまでの人生に転機を迎える事になります。

一本一本の糸がやがて一つの布に織りなされるように、それまで「現実」だと思っていたそれぞれの人生が「虚構のような」現実の出来事で大きく変わり、それぞれの登場人物が、それぞれの居場所で、お互いに知ることもなく、しかし同時に同じ歌を歌い出すというシーンは、まさに「映画のような」虚構によって、観るものの「現実」を吹き飛ばし、奇跡的な生というものの在り様が姿を現すこの映画のクライマックスだと思います。
                      
先日、三浦寛、畠山裕美両先生が関西に来られた折に、受講生の大先輩Hさん、畠山先生のお知り合いでカッコイイS兄さんのお話しを聴かせていただく機会がありました。

操体との出会いと学び、昔の三浦先生の恐かったこと(笑)、などなどいろんなお話しを聴かせていただきましたが、そこで感じたのは先輩の操体への、橋本先生・三浦先生への思いの熱さと温かさでした。
周りの方々に求められて責任ある仕事をされている方が、高校生のような顔をして思いを語っているのを見て、また素晴らしい人に出会えたなと思いました。東京操体フォーラムに参加していると、今まで遇ったことの無いような素敵な人達に出会えるのも大きな魅力です。
フォーラムに参加させていただいてから、スゴい人達に囲まれて1年余りただただウレシク過ごしてきましたが、僕のようなスットコドッコイが何故こういう環境に置いていただけるのか考える時、きっと神サマに「お前のスットコドッコイぶりは目に余るから勉強させてもらってこい」と言われているんだなぁと思ってきました。

でも大阪の先輩を見ていて、それだけじゃないなと。
自分がここにいるのは、この場所に他にいる人がいないからだ、と思ったのです。

自分が今まさにこの場所に在ることを自覚しまた在ろうとすることが、別の人に別の居場所を用意し、逆に周りの人達が自分とは別の場所にいることで、自分の居場所がここに在ることになる。
この場所に居られるたった一人の人間としての自分の在りように感動し、感謝し、またそのことに責任があるんだなぁと思ったのです。そしてなにより、この場所にいることに余計な力が必要ない。「自分」を周りに押し付けることもしなくていいし、周りが自分の場所に入ってくることもない。

自分が今ここに居ることで、今別の場所に立っている人達と感じあい、響きあうことが出来る。
人同士が結びつくというのは、全く同じ場所から全く同じ風景を見ているということではないのですね。

世の中に立派な人がゴマンといる中で、僕のようなスットコドッコイをつかまえて神サマがどういうつもりなのか推し量ることは出来ませんが、目の前に「操体」というゴチソウを出されて「お前これが喰えるのか?」と言われているような気がします。気付いてなかったけど、生まれてこのかたずっと問いかけられていたんだと思います。
食べたはいいけど、僕の器ではコナせずに腸捻転を起こして死んでしまうかもわかりませんが、ありがたくいただいてしまうことに決めました(笑)。

森田さんも書かれていましたが、最近よく心の動きと身の回りに起こる出来事が恐いほどシンクロすることがあって、「いただいてしまおう」と心に決めた途端にそれを試されるような選択をする機会がありました。神サマは見てるんだなぁ、恐いなぁと思います。

これからもきっと、ちょくちょく言われるんだろうなと思います。
「お前本当に操体が喰えるのか?」と。
その度に「いただきます!」と言おうと思っています。

          


12/13 「臨床家による操体セミナー」にご参加くださった方、心だけ参加してくださった方もありがとうございました。またお会い出来ることを楽しみにしています。


山本明