東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

知らないけどわかってる

一昨日触れたきり、なかなか「すべては宇宙の采配」の話にならなくてすみません。
もっとも映画で見る限り「エイリアン」にしろ「プレデター」にしろ(チョット古いですが)、なかなか出て来ないのが宇宙人の相場のようで、本来宇宙人とはそうしたものなんですね(笑)。



「リンゴが教えてくれたこと」を読んで、木村さんという方に勝手に親近感を抱いていたので、この人が宇宙人とどういう関係なのか興味津々で読ませてもらいました。
ご本人も書いておられますが、木村さんのことを全く知らずに読めば「このオッサン大丈夫か?」と言われかねない内容で、UFO、宇宙人、龍、臨死体験などなど不思議なことが盛り沢山です。
映画の中のことだけで言えば、僕なんかE.T.の写真を見ると、頭のデカさといい、足の短さといい、頭部の皮膚の露出具合といい、他人とは思えない親近感を覚えますが、実際の不思議なことには全く鈍いので、直接モノホンの宇宙人にはお会いしたことはないと思います。(「思います」というのは、ターミナルビルの一室に集まっている人達を見ていると「もしかして」と思うことがあるので一応正確を期しました。)
なので宇宙人やその乗り物の存在について、とやかく言う事は出来ませんが、何にせよ「無農薬リンゴ栽培に成功したエライ人」という世間の評価を全くフイにしかねないのを承知で、至極マジメに自分に起こった事をそのまま受け入れ、まわりに伝えるというのはなかなか簡単に出来る事じゃないと思います。僕にはその事がとても好ましく感じられました。



「受け入れる」という事も僕は操体から教えてもらいました。僕自身はとても偏狭な人間ですから、操体を初めて体験した時に自分が今まで感じたことを感じたように表現したことが無かったという事がよく分かりました。
感覚を受け入れる時、そこには自分の知らないものも含まれています。
今までのパターンから外れるというのは今までの自分を壊すことでもあるので、頭の中では不安や葛藤が起こることもあると思いますが、感覚をききわけるというのは、今の感覚を記憶の中にある過去のものに当てはめて、分類し安心するのではなく、知らないものであっても味わってみたいかどうかを、からだに生命に尋ねてみるということではないでしょうか。
「やってみなくちゃわがんねぇんだがら』とは橋本敬三先生の言葉ですが、実際に操体を体験してみると、頭はどうあれ、からだがスンナリと受け入れていることに驚きと感動を覚えます。
初めて体験するような知らない感覚があるので「きもちいいですか?」と聞かれても今まで知っている「きもちのよさ」には当てはまらずに「???』となる時がありますが、それでも「味わってみたい要求感覚がありますか?」と聞かれると「味わってみたい」とは答えられます。頭は理解していなくても、からだはわかっているんですね。

味わってみるとまた、1回の中でも刻々と感覚は変化し、回を重ねてもその度に違った感覚に出会います。
その反応もからだが動いてみたり心が動いてみたり様々で、生命の動きにはこういうものだという形がないのですね。

今までと同じ感覚・反応を求めて再現しようとすることは頭が求めている満足であって、からだの要求には適っていないんだと思います。だから「感覚」を「今までの自分から探す」のではなく、「生命にききわける」のですね。

「ききわける」というのは常に「未知との遭遇」なんだと思います。


山本明