東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

原初からの解放(六日目)

前日のつづき
リバーシングによる苦痛の状態は呼吸器官が要求する以上に深く呼吸する結果、血液中の酸素の量が増え、炭酸ガスの量が減るので呼吸高進症候群にすぎないと、片づけたい気持ちにかられる。それゆえ、西洋医学の学者はこれらの変化を観察して、「過換気症候群」あるいは「過呼吸症候群」のレッテルを貼り、過度に速い呼吸や継続した呼吸は二酸化炭素が必要以上に排泄されてしまうことになり、そのために神経や筋肉の興奮性が高まり、ひどければ意識障害が起こったりするのだと説明することになってしまう。そして、この場合における標準的な治療法は、動脈血液中の二酸化炭素分圧を上昇させることであり、その状態が治まるまで患者の口に紙袋をあて、その紙袋中に吐きだしたガスで呼吸させるというものである。すると、自分の吐きだした二酸化炭素を再び吸いこむことになるので、動脈血液中の二酸化炭素が増え、症状が治まるというのだ。他に抗不安薬を投与して沈静したりするのも有効だとしている。西洋医学的には過呼吸が危険とは云わないまでも、健康的な行為ではないという考え方が多分に含まれているのだろう。
しかし、そのような判断をすると二つの重要な要素を無視することになってしまう。ひとつには苦痛や不快感を感ずると、呼吸のプロセスが深まるという事実。もうひとつは呼吸高進症のほとんどの場合に、めまいや頭がフラフラする症候が伴うことである。ところがこうしたことは、苦痛を経験しているときには生じない。仮にめまいがすると患者が訴えたなら、それはその患者が苦痛を経験しているのではないと判断できる。また、過呼吸症候群が、特に大きなストレスにさらされている者によく見られる、という事実を西洋医学ではまだ説明することができないでいるし、過呼吸の利点もまったく無視されてきた。深い途切れることのない呼吸をある程度の時間続けると、否定的な収縮体験もやがて大いなる喜びに道を譲るということは体感すれば理解できることである。過呼吸は決してネガティブな症候群ではなく、むしろポジティブな解決をもたらす、それは生涯続いてきた低呼吸の治療なのである。
療法的に行えば、過呼吸は身心を膨大なエネルギーで満たし、収縮したエネルギーを強力に解き放ち、浄化することができる。その単純な働きは十分に実証される。西洋医学が人間の生におけるエネルギーの動きを理解しない限り、呼吸とは何か、深い呼吸がどんな効果をもたらすかということを理解することはできない。
今の医学界では心身医学の分野に真剣に取り組もうとする人は実際にはごく少数である。研究基金の配分に影響力をもつ学会でもっとも権威のある研究者たちは、研究課題の優先順位を決定し、心身医学の分野に取り組む仲間を低く見ているのが現状である。現代医学は心身医学を医学スクールで教えることはしない。また科学信奉主義の立場をとる生物医学の主流派の中では、心は脳の回路構成と生化学の産物にすぎず、まるで心は常に原因ではなく結果であり、人間の意識も征服するのを目前にして大いに意気を上げているといったところだ。精神はどのように身体に影響しているかというような心とからだの結びつきに関して、治癒における身心の相関的な側面に医学はもっと関心をもつべきである。
また、リバーシングの感覚については何も不快なことばかりではない、快につながる変化もある。最初にピリピリちくちくとうずくような感覚だったのが、やがてエクスタシーといっていいほどの陶酔感に発展する場合がある。全身を波のように洗う性的な快感、非常に深いリラクセーション、生命のありようへのパワフルな洞察、深遠で神秘的なビジョン、忘れがたい魂の再体験など。このようなとき、人は呼吸と感情とエネルギーとの本質的なつながりを細胞レベルで見いだすかも知れない。このようにリバーシングは苦痛と呼吸の深さの関係を説明してくれている。
この諸悪の根源ともいうべきバース・トラウマが精神や肉体に抑圧されたネガティブな印象を形成する。そしてそれを一生持ち続けることになるのであるが、それから救われるために寺院や教会に行き、自分は宗教的であり、救われるものと考えている。しかし、そういったものが宗教的な質ではなく、ただ単に恐れているだけなのだ。神や仏が救ってくれると思っている、が、そうではない。自分が自分自身を救わない限り、誰も自分を救うことなどできやしない。キリストやブッダであっても、我々を救えない。しかし、本人だけが自分自身を救うことができる。自分自身を救うことは自分の責任なのである。
操体でも自分のからだの感覚をききわけるのは自己責任だと言っている。この自己責任というのは、まわりを否定することによる疑似的な安楽・解放ではなく、苦悩の根源を探るような自覚と反省の中で、自分自身に目覚めることによって責任を他に転嫁せずに自分自身で切り抜けていくということである。そして自分自身を救う方法とは再生すること、再び生まれるということである。それがリバーシングの意味することのすべてだ。
明日につづく