東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

 叔母との思い出その1

僕は仙台で19歳まで過ごした。
温古堂の前の道を自転車でいっぱい走っていた。
実は気が付いたのは数年前なんですが。(笑)
仙台の春は東京よりも一ヶ月くらい遅れてやって来る。
自転車で走るのは気持ちが良い。
もしかしたら、その頃、橋本先生や三浦先生と道ですれ違ってたかもしれない。
今先生や奥様になる、ミヨちゃんはそれからもっと後にあの辺にいたんだな。
そんな事を考えると面白くて、楽しい。
操体を学ぶ少し前に叔母が亡くなった。
その時に始めて温古堂を見た。
タクシーで向かう時間。
偶然信号で止まった時間。
ふと横を見ると温古堂が横にあった。
数えきれない程、自転車やバイクで通った道なのに気が付かなかった。
始めて気が付いた時間。
不思議な時間だった。
まだプロの若手だった僕は引退したらどうしようか。
悩んだ時間があった。
柔整に通おうかな、そんな事を考えた時期があった。
ジムの会長がある日、僕に聞いてきた。
「将来どうしたい。」
僕は柔整に通いたいって言った。
会長は知り合いの接骨院の院長を紹介してくれて。
偶に食事とかご馳走になって色んな事を一緒に考えてくれて。
色んなアドバイスを頂いていた。
その先生は区議会議員になった。
僕はプロとして大きくなって
いつの間にかプロに専念するようになっていた。
いつの間にか柔整の道は忘れていた。
小さな頃から可愛がってくれた叔母。
その頃にそんな事をお話したら。
こう言ってくれた。
「柔整の学校のお金はあたしが出してあげる。」
「だから安心して、今はプロで頑張りなさい。」
凄く不思議な安心した時間を僕はもう15年以上も前に叔母から戴いた。
小さな頃両親が二人とも働いていた。
朝早く仕事に出かける。
僕は朝早くからお婆ちゃんの家に行く。
お婆ちゃんの家は数件先にあった。
僕の家には風呂がなかった。
お婆ちゃんの家の風呂にいつも入っていた。
お婆ちゃんと、まだ若かった叔母さんは一緒に2人で住んでいた。
僕は叔母さんにいっぱい可愛がってもらっていた。


平直行