仙台の病院に着くと叔母がベットで寝ていた。
意識はなかった。
大宮から妹も来ていた。
妹が小学生の頃にお母さんが亡くなった。
だから妹もいっぱい叔母さんにお世話になっている。
2人が揃った時間に、意識が無かったのに、叔母が急に目が醒めた。
少しお話して。
ベットの周りに来てるみんなを見て。
また眠った。
大丈夫そうだというので、その日の最終の新幹線で帰った。
翌朝電話が来た。
叔母が亡くなったと電話が来た。
そのまま再び仙台に向かった。
一度帰ってるから、全部お葬式とかに必要なものは用意して向かった。
意識が無くなって、みんなが揃った時間にみんなと会って。
そのまま眠って、一度家に帰る時間をみんなにくれて。
きちんと準備出来る様にしてくれたのかな。
叔母が意識が無くなる時間、僕と妹は2人とも叔母と会ってる。
その場にいない筈の叔母と2人とも会ってる。
大分経ってからそんな話をどちらからと言う訳でもなくした事がある。
「実は意識が無くなった時間に声が聞こえたんだよ。」
「たぶん、同じ時間に2人で聞いたんだ。」
お葬式が終って大分経ってから連絡があった。
叔母の銀行の担当の方に、叔母はこう伝えてくれてた。
叔母が亡くなったら、僕と妹にあげてください。
叔母の貯金だった。
操体を学ぶホンの少し前の時期だった。
僕はそのお金を操体を学ぶ時に使わせて頂いた。
柔整じゃなく、操体を学ぶ時に使わせて頂いた。
何かの意味があるかもしれない。
人は繋がってる、記憶の中でも繋がってる。
繋がってる叔母にも色んな事を聞かせてあげたいな。
生きてる者の役割は生きる事を楽しむ事。
こんな楽しい事があったよって聞かせてあげたいな。
そんな生き方をきっと笑いながら聞いてくれる。
叔母だけじゃない、お婆ちゃん、お母さん。
色んな方々、ご先祖様に感謝の気持ちを込めて、日々を楽しく生きたいな。
僕はそんな事を感じれるようになったんですよ。
色んな事を学んで日々楽しいのです。
仙台で生まれた操体っていうの凄いんですよ。
色んな事を学ばせて頂いて、感じさせてくれるんです。
僕は学べるのが楽しいんです。
ありがとうございますっていう言葉って凄いんですね。
良い言葉だって解かって来ましたよ。
ありがとうございますが素直に言える
そんな日々は最高に嬉しい日々なんですね。