東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

梅。


そろそろ桜前線の便りが、聞こえてきそうなこの頃ですが
私の住んでいる地域では梅が見ごろを迎えています。

私の場合、梅は花や香りを楽しむのも良いですが、梅の木の枝ぶりや幹ぶり?を見るのも好きです。

桜の場合は、花の方に圧倒されるというか、大きさも「桜斬る馬鹿、梅斬らぬ馬鹿」という言葉があるように、
剪定に注意を要する桜の方が大きい場合が多く、花の付き方も桜は花柄が長く、花芽も房状についているので、春の陽気に誘われて沢山咲きみだれるといった感じですが、梅の方は花柄がなく枝にくっつくように咲くので、寒空の下、凍えないようにしっかり枝にくっつきながら、春が近いことを告げているようにも見えます。
だから余計に幹や枝のうねるような、あるいはジグザグした造形美に、力強さや質実剛健さといったものを感じるのかもしれません。


こうして梅林の中に立っていると、視界に入る地上の幹や枝の質実剛健さが、視界に入らない地中の根っこの逞しさも現しているようで、地中の養分をグングン吸収し、枝を伸ばし百花にさきがけて花を咲かせ、その呼吸の響きがまだ冷たさの残るシャープな感じの空気と共鳴するような、そんなエネルギーを放っているようにも感じます。
梅は非常に生命力が強いようで、幹が枯れて中がスカスカのがらんどうになっても、樹皮がしっかりしていれば、花を咲かせ実を実らすことが出来るそうです。
それも、やはり根があってこそだと思います。
幹を包んでいる樹皮も凄いが、根を包んでいる根皮も相応の働きをしているのではと思います。
視界に入らない地中の世界でも、根と地中の環境とは様々なかたちで、情報や物質、エネルギーの交換による調和が成されていると思いますが、その境界で最前線にたって働いているのが根皮かもしれません。
木はそこに留まって生きているように見え、特に梅はそこで風雪に耐えるといったイメージもありますが、案外、地中の世界では、微生物や他の木の根や物質、エネルギーと交流を持ち、結構社交的に愉楽しくやっているのかもしれません。(梅の場合は比較的浅く根を張るので、先ほど梅林の中に立ってと書きましたが、くれぐれも飛んだり跳ねたりしないようにしましょう)
樹皮とか根皮とか区切らないで生命体を包んでいる器ということで考えると、この器は凄い器だと思います。
何百年も生きられるのは、この器が自然界の理念に忠実だから、あるいは器の感じたことに対して否定がなく、素直だからなのかもしれません。
脳を持たない樹木と接すると、なにかを教えられる感じがします。



友松 誠。