東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

フワク

お久しぶりです。山本です。
毎度大阪からご機嫌を伺います。一週間お付き合いを願っておきます。


えー、月日は百代の過客にして行かう年もまた旅人なり、なんて昔のエライ人は云ったそうで、月日の経つのは早いもんでございます。
私にも人並みに誕生日てぇものがありまして、先月一年ぶりに年を取りましたが、自分でもこの間小学校に上がったかなぁと思ってる間に、お兄ちゃんだと思っていた高校球児がいつの間にか年下になり、鏡を見て我ながらもうこんな年かと驚きますから、時の経過というのは恐ろしいものです。


「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従いて矩を超えず」なんて事をいいまして、学校で意味も分からず暗唱していましたが、今その年齢になってみるとなるほどなぁと思うときがあります。

惑いっぱなしのまま不惑を過ぎ、「フワクってなんだい、喰ったらうまいのかい」くらいにしか思っていませんでしたが、不思議なご縁で操体に出会い、丸2年が経ちました。何かがわかったというわけじゃないんですが、この道を行くんだなということは感じています。惑わないということは揺れないということとは違うんだな、軸を感じていることさえ出来れば揺れていてもいいんだなと思えるようになってきました。我ながら、この年になってこんな事しかわかっていないのか、と思わないでもないですが、自分は過程を踏んでわかっていくしかないんだなとも思っています。

昔々、学校では「七十にして心の欲するところに従いて則を超えず」と習ったように記憶しています。その時は「なんてつまらない事を云う奴だ」と思いました(スミマセン)。最近孔子の子孫の方の本を読む機会があり、その事を思い出してちょっと調べたのですが、「矩」というのは直角や物理のモーメントを表すらしいですね。物理や数学は赤点しか取った事がないので全く理解していませんが、なんとなく三浦先生がよく仰っている「縦軸」を連想しました。「矩」は人間が決めた法律のようなものを指してるんじゃなくて、自然法則のことを言っているのかな、自然法則を学ぶのなら操体も一緒だなと思いました。

何を探して歩いているのかも分からずに惑ってきましたが、自分は自然の理というものを求めているんだな、そしてそれは道の行く先にあるんじゃなくて、道そのものを歩く事にあるんだなと、あらためて思いました。


大先生も七十になって自然法則に従って動けるようになったと言われているのだとしたら道程は遠いですが、自分もこの道を自分の足で一日一日一歩一歩歩いていく事しかないなと思っています。

生き抜く力をもらう

生き抜く力をもらう


山本明