東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

目線と身体運動の関連性


「眼はこころを映し出す鏡である。」とは誰が言ったか知らないが、操体法創始者橋本敬三先生も、その著書の中で眼球の動く角度で情感が変わる。上を見れば明るくなるし、下を見れば気が沈む。正視すれば集中できるし、横目を使う時は不安がつのり、疑い深くなる。悋気をおこせば柳眉(美しい人の眉のたとえ)が外上方につり上がる。と書いてあるのでおそらくは真理である。

動揺しているときなどは、眼が泳いで焦点が定まらなくなるし、驚いたときは眼を見開いてギョッとなる。シャイな私なぞは綺麗な人と眼を合わせる事すら出来ない。不憫なものである。

この辺りの事はまた次の機会に取っておくとして、眼球の運動がどのように身体運動と関連して来るのかと言うところを私なりに書いてみたい。

まず目線は重心を安定させる働きがある。これはからだの正しい使い方・動かし方をまとめた『般若身経』の中でも、目線は正面の一点を見る。と書かれてある様に目線を一転に集める事によって運動を安定させる。これは眼が据わると言う言葉もある様に一点に集中する事により、迷いのない安定した状態を作るのである。

また、眼球の動きにによって連動の方向性が定まってくる。是非試してみて頂きたいのであるが、坐位でも立位でも構わないので、首の捻転の動きを目線を捻転の方向と同じ方向に動かしながら捻転する場合と、首の方向と反対側に動かしながら捻転する場合とで、その運動の可動性を比べてみると一目瞭然、目線をつけながら捻転した方が断然スムーズにいくはずである。以前、自動車教習所で車は運転手の見た方に進んでいくから、道路のセンターを見ながら運転しなさいと教わったが、私たちのからだも眼で見た方向に動く様に出来ているのである。それを考えてみると、携帯電話を見ながら歩いたり、テレビを見ながら勉強したりするのは、からだの使い方から言っても問題である。

あと似た動作であっても、目線の付け方ひとつで異なった動きになる事もある。以前、東京操体フォーラムの三浦理事長から「しゃがむとかがむの違いを考えろ。」とお題を出された事があるのだが、これこそまさに目線のつけ方の違いなのである。しゃがむというのは、集合写真を撮る時等に「いちばん前の人はしゃがんでください。」というケースで用いられるが、目線は前方(この場合はカメラのレンズ)を見ながら、腰を落とした状態であるが、かがむという動作では「腰を屈めて草むらに身を隠す。」というように上半身ごと腰を落とした状態のことで、この時目線は床やもしくは自分の臍の辺りにおかれる。このように腰を落とすという動作でも、目線を正面に残すか、目線を下方に落とすかの違いで全く異なった動きになるのである。

下にある2枚の写真を見比べて欲しい。2枚ともダンベルを持ち上げようとする動きであるが、1枚目はダンベルを床に下ろそうとする動作、2枚目はダンベルを持ち上げようとする動作である。少し大袈裟にやってはいるが、これも同じ動作で目線の方向性が違う例である。

1枚目

準備中

2枚目

(注)原因不明で1枚目がアップロード出来ないため、後日改めて訂正させて頂きます。

次も2枚の写真であるが、これは高いところにあるものを取ろうとする動作であるが、1枚目は目標物に目線をつけながら手を伸ばした際の全身形態の連動性で、2枚目は目線を目標物とは逆の方につけながら手を伸ばした際の全身形態の連動性である。明らかに2枚目は不自然な連動性を示しているのが見て取れる。

1枚目

2枚目

このように目線は、身体運動の方向性を決定するハンドルであり、バランスを取る為のスタビライザー(安定化装置)の働きをする身体運動には欠かすことの出来ない要素のひとつであるといえる。


秋穂一雄