ブログ週間に向けてコツコツ準備してきた。
その中でも、「もしドラ」がベストセラーになった「ドラッガー」についてチョッピリだけ・・・学んでみました。
(何回も著書を読み直し、熱心なファンのことを「ドラッカリアン」と言うらしい、私は「ネムタガリアン」になってしまいました)
経営に関するマネジメント・イノベーションだけでなく、臨床にも生かせる言葉としても色々ありますが、例えば、
「少ししか求めなければ成長しない。多くを求めるならば、何も達成しない者と同じ努力で巨人に成長する」
これは自ら発した言葉で、自らを制限している者に対するヒントであります。
「人の成長のために働かない限り、自ら成長することはない」
「人に教えることほど勉強になることはない。人の成長の助けになろうとすることほど自らの成長になることはない」
一つには利他主義であり、利益は販売の対極にある。利益を上げるための目標には意味が無く、結果として利益が生じているだけと言うことなんです。
わかったうえで、自らをマネジメントできたらいいですね。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
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では、何が生きていく上で最低限必要なのでしょう。
橋本敬三先生は、それはこうなのですよ〜と、操体の基本理念でキチンと「息・食・動・想・環境」という基本を説いていますネ。
さて、例を挙げましょう。
第二次世界大戦中に、ナチスの強制収容所に押し込められたユダヤ人は、
不衛生な環境に加え、栄養不良、悪臭、極限状態の労働、による、
「環境」・「食」・「息」・「動」の不自由を余儀なくされたといいます。
そんな中では、絶対的とも思えること。つまり、若いという年齢的有利条件が役に立ちません。
若くても関係なく、あきらめてしまえば、次々に死んでしまったそうです。
それでも生き残ることができた人間には、何が与えられていたのでしょうか。
それは、希望という目標であり、目標という意志でした。
この収容所体験をした精神科医フランクルは、目立って元気だった老人を例に観察していました。
その老人は、一人の娘とたった一人の孫が(旦那はいない)待っている、
その孫に会いたい。その孫を立派に育てたいんだ!と、強く願っていたのです。
はたして、
人間には、何が必要なんでしょうか。
何をもって健康を維持できる条件になるのでしょうか。
この経験からフランクルは、「人間に生きがいとやる気を起こすには、意味が必要だ」と言っています。
クラーク博士のように言えば、「少年よ、大志を抱け」となります。
しかし、何に大志を抱くのか?・・・ここまでは言い残していないのです。
そもそも「成長」とはなにをさすのか。
「生長」とは何が違うのでしょう。
成長とは肉体の成長を示し、生長とは霊的成長のことでもあります。
以前、東京操体法研究会の講習会で三浦理事長が教えてくれたのが、
「青春とは」 〜サムエル・ウルマン〜
この詩が訴えてくる内容には、答えがいくつもあるように感じる。
文章的には断定的でありながら、そう感じるのは、なぜなのだろうか?
味わい深く、含みがあって、余韻があるからだろう。
さて、その後強制収容所で生き残っていたユダヤ人たちは、戦争にナチスドイツが敗れたことを知り、
自由になれたことを知った途端、急に死んでしまう者が増えたらしい。
「いつか自由になる」と言う目標が達成されたからだろう。
自由になって家に帰っても、家がなかったり、家族が亡くなっていたことを知り、廃人のようになってしまう者も多かったという。
ただし気になることもある。あの老人がどうなっただろうか? それは、記載がなく・・・・わからない。
三浦理事長に操体そのものを学ばせて頂きながら感じること。
それは過去の私にはない、「想」の質的変化を感じることが非常に多い。
決して、消えゆくことのない「意識」
戦時中の日本ではない、戦後の日本ではない、高度成長期ではない、バブル時代でもない・・・、
今だからこそ、感じ取らねば、未だ知り得ぬ、生かされている意味を感じたい。
たとえ、死ぬまでにわからなくても、死ぬ前一日にわかるかもしれない。
死ぬまで学びたい。本気でそう感じているのが、僕ではない。
僕は逃げたくなり「もういいでしょう?」って聞いてみたら、「一生、臨床なんだヨ」・・・って。 いつもありがとうございます。
6月13日、行徳ゴールドジムにて第四回「臨床家による操体セミナー」開催
8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催