東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

生命エネルギーと感覚(3日目)

前日の続き
クンダリニーやチャクラに関してどんな理論的知識も役に立たないと言ってきた。それは何か理論上の知識をもってしまうと、自分自身にその知識を押しつけ始めるからである。物事を自分が学んできた理論どおりになるように視覚化してしまうのだ。やがてこの視覚化は自分自身の個人的な状況に対応できなくなってしまい、多くの混乱を引き起こすことになってくる。
チャクラというのは感じるべきものであり、それに関して知識をもつようなものではない。まずははじめに感じなければならない、自分の内部深くに触手を伸ばさなければならない。知識は自分のチャクラを、そしてクンダリニーとその通路を感じた時には役に立つものであるが、それらを感じもしないうちは何の役にも立たない。反対に知識は内面世界だけに関して言えば非常に破壊的な立場であり続けてきた。知識を得れば得るほど、ますます真実かつ真正なものから遠ざかってゆく。知識を得ることによって感じとる可能性は確実に失われていく。知識を得れば物知りになるかも知れない、しかし、その代償は高価なものとなるだろう。感じることから離れてしまい、借り物の知識で生きていくようになってしまう。
我々は自分自身に自分の知っていることを押しつける習性がある。誰かヨーギが「この部位にチャクラがある」などと言おうものなら、その部位に自分のチャクラを視覚化しはじめる。が、それはそんなところに全然ないかも知れない。自分で想像上のチャクラを生みだしてしまう。我々には生みだせる力がある、想念にはそういう能力が存在しており、想像上のチャクラをつくりだすことなど簡単にやってのけるのだ。そうなると、自分のその想像のせいでクンダリニーではない何か単なる想像上の世界が創り出される。それはまったく幻想的で夢想的な現象にすぎない。ひとたびチャクラをありありと想い浮かべ、想像上のクンダリニーをつくり出すコツを身につけてしまったなら、どんなものでも造作もなく創りだせるようになる。そうなったら想像上の体験が次から次へとあとに続き、自分の内側にはうそ偽りの空想の世界が繰りひろげられる。なるほど、言われれば外界も幻覚には違いないが、自分の内側につくり出す偽りの世界ほどではない。心の内側に向かう時、気をつけなければならないのは、内面にあるものすべてが必ずしも真実でも真理でもないということだ。なぜなら想像もまた内側にあるし、夢想もまた内面にあり、真実と偽りは同居しているということを心得ておかなければならない。
想念には夢想したり、幻覚を生みだしたり、投影したりという能力が、非常に強い能力が備わっている。瞑想に入るにはクンダリニーやチャクラのことなどまったく知らないまま進むのが好ましい。まずはクンダリニーやチャクラを感じるようになってから知識を得ればいい。そのときにはじめて理論や知識を追求すればよいのである。もし、瞑想していてチャクラが動くのを感じ、クンダリニーが上昇するのを感じだすかも知れないが、まずは、その感覚をはじめにこさせなければならない。想像などしないことだ。それについてあれこれ考えないこと、前もって理解しようという知的な努力などまったくいらない。それは不必要なだけではなく大いに有害である。

操体の動診において、快感覚を能動的に探すのではなく、受動的に快感覚を受け止め、その快に従うのだと教える。このように操体も感じることができなければ操法へとコマを進めることはできない。そして快感覚も個人的なものであり、何か知識に基づいて探したり、創り出したりするものではない。それは感じるべきもので定義できるものではないのである。
明日につづく


日下和夫


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催