東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

生命エネルギーと感覚(4日目)

前日の続き
クンダリニーやチャクラは西洋医学の解剖学や生理学とは一線を画するものである。クンダリニーやチャクラは、微細身あるいはエーテル体、精気体、霊妙体とも言われているものであって肉体のものではない。むろん、そこには肉体に対応する部位はある。チャクラはエーテル体に属するといっても生理学や解剖学にはそのチャクラに対応する諸部位がある。自分の内なるチャクラを感じとったときに初めて、その肉体に対応する部位を感覚として捉えることができる。さもなければ全身を解剖してみてもチャクラのようなものは見いだせない。
肉体にクンダリニーやチャクラのようなものがあるという俗説や論理的思考による証拠や科学的な根拠に基づく主張といったものはすべて馬鹿げていてまるっきり無意味だ。確かに肉体に対応する部位はあるけれども、そういった部位は自分自身の中で本当にチャクラを感じとってはじめて肉体に対応する部位も感じられるものである。医学的に解剖したところで何ら発見されるものではない。そこには何もない、まったくもって解剖学上のものではない、これははっきりと区別されなければならない。
また、必ずしもチャクラを通過する必要はないということである。それは必須のものではなく、チャクラを迂回することも可能だ。それに解脱に至る前にクンダリニーを感じる必要などない。こういったクンダリニーの現象は一般に考えられているものとは随分違っている。クンダリニーが上昇するからといって必ず感じられるというわけではない。クンダリニーはエーテル体の中ですっきりと通りのよい通路をもっていないときにだけ感じられる現象なのである。もし通路がくっきりと開いているのであれば、エネルギーが流れてもそれを感じることはできないということを理解する必要がある。
我々はエネルギーの流れに抵抗するものがあるときに、そのエネルギーを感じることができる。エネルギーがその通路を上昇する過程においてブロックがあり、エネルギーの通りが悪い状態にあるときにはじめて、そのクンダリニーというエネルギーに気づく。クンダリニーを普通以上に感じるというのは通路にブロックがあるということにほかならない。エネルギーの通路の中にたくさんのブロックがあって、クンダリニーは上昇することができなくなっているのである。
このようにエネルギーの通路に抵抗があるときに、はじめてクンダリニーというものが感じられることになる。もし、この通路に抵抗がなかったら、クンダリニーというエネルギーを直接に感じることは決してない。たとえば、自分の手を動かしてみるとわかる。手に何の抵抗もないとしたら、その手の動きはまったく感じられない。空間で動かせば、空気の抵抗があるからこそ、手の動きが感じられる。しかし、水の中での水の抵抗ほどは強く感じられない。水の抵抗があればもっと強く手の動きを感じることができる。また、真空の状態の中だったとしたら動きはまったく感じない。何故なら動きと抵抗は相対的なものであるからだ。

操法においても、からだの中の内なるエネルギーを感じることがある。これはからだの無意識の領域から発せられた快からのメッセージである。からだの内を流れる気の通路に緊張がブロックを形成する。このブロックは快を味わうことで解放されるのであるが、クンダリニーとチャクラの関係と似ているとは思えないだろうか。
明日につづく


日下和夫


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催