東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自分探し、再び


こんにちは、私のブログ週間も、残すところ2日となりました。もう少しのお付き合いよろしくお願い致します。

ブログ3日目は、私の記憶を遡る旅でした。
記憶の最初は、弟の誕生日。
当時4才10ヶ月。
それ以降の記憶は、庭先の植物、筧(かけひ)などの溢れる静止画像。
その後は、小学校あるいは、幼稚園の動画の記憶。
無音。

部分的に淡い色彩で、セピア色がかった白黒映像。
もう半世紀も前のことですが、生き生きと動き回っています。
改めて、この活力の中に、自分の将来が隠されており、また、私がブレイクスルー(突き抜ける)するためのヒントも埋まっているのではないかと思い始めたのです。

きっとあるはず・・・・

それでは、密かな思いを胸に、もう一度自分探しの旅を始めてみましょう。

この記憶の動画は、静止画像と同じように、一度つっつくと、溢れる程、浮かび上がって来ます。

そして、浮かび上がってくる映像のほとんどが、神社の境内あるいは、隣りのお寺の境内で遊んでいるもの・・・・

私は、太い針金で直径12〜3センチの輪っかを作り、細い竹竿に取り付け、オニグモの巣を探しています。
オニグモは黄色に黒のストライブで、丈夫な巣を作っています。この巣を見つけると、針金に巻き付けて、輪っかを蜘蛛の巣のネットにしていきます。丁度、金魚すくいの輪っかのようになります。これに水をつけると、ネバネバのハエ取り紙(最近、見なくなりました)。
これで準備完了!

取ってきたセミ(ほとんどがアブラゼミ)を、蚊帳の中に放し、一緒に遊ぶのです。幼い弟もハイハイしながら、セミを追っかけています。
ヒグラシを入れると爽やかな空間。ニイニイゼミが入ると、うるさいのでニイニイゼミは取ってから、逃がしていました。

今度はボール遊び。
当時、バットやグローブは高価なもので、中々手に入りません。そこで、テニスボール1個を大切にして野球のような遊び(ロクムシと呼んでいました)をしていました。
坊主頭に、継ぎはぎのズボン。青ばな垂らした、傷だらけの子供たち。
はなをすするので、服のそでが、テカテカ光っている子もいました。
さてチーム編成。
6年生の上手な2人が○○ちゃんチーム、××ちゃんチームと名乗ります。それから、力量の同じ男の子同士をジャンケンさせ、勝った子が、○○ちゃんチーム。負けたこが××ちゃんチーム。
この時のワクワク感は、格別。

ルールは野球と同じく、ホームベースに帰った数の多いチームが勝ち。ワンバウンドで投げたボールを拳(グー)で打つのですが、真芯に当たると、よく飛びます。
この時の飛距離が“いのち”。ヒーローになるかならないかの・・・
暗くなるまで遊び続けました。とにかく夕焼け空を見るのが嫌で、嫌で・・・
「ひろむ、ご飯ぞな〜。お帰り!」
父親のこの声が、遊び終了の合図。
友達は、
「オレ、そろそろ帰るわ!」
と言って、家路につき始めます。
それでも、何人かと遊んでいると、
「ひろむ、何しよんぞ!早う、帰っておいで!」
もう、この合図があると、帰らなければなりません。
真っ黒な雲の合間に輝く夕日が憎くて、涙を流すこともありました。

それでも、家に帰るとテレビ「鉄腕アトム」が待っています。
もう、夢中で見ていました。

泣いたカラスが、もう笑ろた

この当時の記憶のほとんどが、“遊び”
広場を1番に占領した者が、その時空を支配できるわけで、
子供が多い当時は、競争。
そのため、学校から駆け足で帰ることもよくありました。そして、空間を独り占めした時の、高揚感は天にも昇る気分。

この時の、気分高揚促進ホルモン大放出の体験が、私の創造活動の原点です。

何でも出来る空間と時間そして、数ある遊びの選択権と遊びの創造権(こうゆう言葉はありませんが、新しい遊びを創り示すこと)を手に入れることこそ、“自由” という私を動かすエネルギーとなったのです。

この時の感覚を、造形作家として活動していた時は、意識して大切にしていたように思います。

ところが、日々の生活にそんな意識があったか・・・というと、持ち合わせていなかった・・・

どうやら、将来の“自分”を映し出すカギとブレイクスルーするためのヒントは、ここに隠されているようです・・・・

今日は、ここまで!
明日は最終日・・・・お付き合い、どうもありがとうございました。
では また あした!


佐伯惟弘



8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催