東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

夕刊におもう

ここ数年、地方では夕刊がなくなりつつあるらしい。
インターネットの普及や、勤務時間帯の多様化で、必要とされなくなってきているのだろう。
若い世代では新聞そのものを購読しない世帯もめずらしくはないと思う。
実際、うちもニュースはもっぱらwebで確認している。


朝夕刊セットと、朝刊のみの月額はわずか数百円の差しかない。コスト面ではどう考えても厳しい状況である。
貢献していない身で言うのも何だが、なくなるとなるとさびしいものである。


高校を卒業した年の三月半ば、鹿児島から上京してきた。進学のために選んだ手段は新聞奨学生だった。
学費と生活費を稼ぐために他に思いつかなかったのもあるが、中学生の頃から地元でもアルバイトで配達をしていたので、馴染みやすいかと思ったのだ。


上京すると、高田馬場にあった会館に集められ、各地域の営業所の所長との面接が行われた。配属になったのは吉祥寺の販売所だった。
販売所へ向かう途中、所長とはぐれ、地名を頼りに、混雑時の電車の移動を経験したのも懐かしい記憶である。
寮として使われていたのは、当時取り壊しの噂のあった、二階建てのアパート。薄暗い廊下を進んだ奥の3.5畳の一間。
ここでの生活が、今の原点になっていると思う。


朝は三時半頃に販売所に朝刊が届く。広告を新聞に折り込み、出発する。配達が終わるのが七時前くらい。
午後は三時から夕刊の配達。それが終わると、集金業務や契約の営業、空いた時間に、折り込み広告の準備を行う。
移動の時間を含めると、勉強のために使えるのは、昼過ぎまでの数時間のみ。
当時は、夕刊がなければどんなに楽か、と思ったものである。


かつては一日に二度、情報量も伝達速度も鮮度もそれで十分なものであったのだろうが、時代の変化とともに、間に合わなくなってきた。
必然の結果である。


今では欲しい情報は気軽に手に入るようになってきている。
しかし、能動的に得る人と、受動的に得る人ではその質と量に差がある。
新しいものが常にいいものとは限らないが、それを判断するのは個々に委ねらる。


必要としている情報を得て、評価し、認識し、表現する。
操体関係者の間でも情報リテラシーは必要だろうなと思うのだ。



辻知喜



8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催