東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

火天の城

天正7年(1579年)、滋賀県の安土山に、巨大な城が建てられた。
火天の城」は安土城築城にまつわる物語である。
尾張熱田の宮大工であった岡部又右衛門は、領主織田信長に五重の天守を持つ城の建設を命ぜられる。
安土は京の都に隣接し、堺、越前、加賀への交通の便が良く、大和六十六州のほぼ中央に位置していた。
「城造りは国造り」。天下人を目指していた信長にとって、願ってもない土地であった。


当時はまだ高層建築はあまり例のない時代であり、天守として初めてのことであった。


「樹齢千年の檜で建てられた建物は千年の年月に耐えられる」
「木の生えていた方角に合わせて木組みをする」
「木組みは心組み」
これらの言葉は、木と共に生きる職人の知恵である。
木の声を聞き、木に教えを請い、木を活かし、木に育てられる。


天下一の城の大黒柱は天下一の檜で建つ。
又右衛門は、天下一の檜を求め、敵方の武田領内へ赴く。もちろん領主が許すはずもなかったが、又右衛門は檜と引き替えに命を差し出す覚悟があった。
又右衛門に心を動かされた杣人(そまびと。木を植え、木を育て、木を伐る人)の手によって命がけで安土へ運ばれることになる。


印象的だったのは、礎石とする為、蛇石と呼ばれる巨岩を運ぶ際に事故が起き、多くの死者が出る。
又右衛門は翌日の作事をすべて取りやめにするのだが。
信長の、「戦場(いくさば)では、何千何万という兵達が命を失う。作事はお前達の戦場であろうが。戦に死はつきもの。情けは無用じゃ。」との言葉に対し、
「作事を休むは、死者の為でも、死者を弔う為でもござりませぬ。何より、今を生きて、作事を為す職人達の為にござりまする。
木組みは、木の気持ちを聞いて組みまする。作事は、職人一人一人の心を組んで為すものにござりまする。職人達の心が離れては、事は成りませぬ。」と言い通す。



法隆寺は世界最古の木造建築であり、千三百年の歴史を持つ。昭和の時代に修理が行われた際、その木を調べてみると、真っ直ぐできれいな木ではなく、曲がりも太さもばらばらなままで組まれていたという。
最後の宮大工と云われた西岡常一氏は言う。
「癖というのはなにも悪いもんやない。使い方なんです。」
「木は人と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木に癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはいけません。」


安土城は完成のわずか三年後、本能寺の変からまもなく焼失する。



信長の菩提寺は現在、京都の大徳寺の中にある。


辻知喜


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