東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

幻の名宰相

維新の三傑と言うと、西郷隆盛大久保利通木戸孝允です。
幕末から大政奉還の原動力となり、明治新政府の礎を築いた人物です。
候補者は他にも何人かいたようですが、大政奉還の直後に亡くなったとかで除外されたようです。
現在大河ドラマで取り上げられている坂本龍馬も、もう少し長生きしていれば候補に入っていたかも知れませんね。
新しい日本のために走り回った坂本龍馬ですが、新政府の中心として想い描いていた人物の筆頭に挙げていたのが小松帯刀でした。
薩摩藩家老として、幕末の薩摩を引っ張っていた人物です。
幕府に追われていた坂本龍馬桂小五郎木戸孝允)を匿い、薩長同盟大政奉還など、幕末の重要な密議の多くは小松家の屋敷で行われています。
当時、志士たちの間では「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と云われていたという話もあります。


地元鹿児島での人気はというと、圧倒的に西郷で、大久保は西郷を死に追いやったとして、ずっと不人気でした。
銅像が建てられたのも、県外からの指摘で、死後100年経ってようやく(しぶしぶ?)のことだったようです。
それに遅れること10数年、鹿児島城址のある城山、西郷銅像の正面に、小松帯刀の銅像が建てられました。
大政奉還の建白書に真っ先に署名した時のもので、その視線は、照国神社にある、名君と云われた島津斉彬の銅像に向けられています。



昨年、伯父が亡くなった際に、父の従兄から焼酎が贈られてきました。鹿児島では、冠婚葬祭に焼酎を贈る習慣があります。
銘柄は「小松帯刀」。
父方の祖母の実家は焼酎の蔵元でした。吹上焼酎といい、現在は経営に関わっていませんが、そこで生産している銘柄です。
現在の会長は小松帯刀の子孫だということです。


小松帯刀自身は明治の始めに若くして亡くなりましたが、その身分や立場の分け隔てなく人と接する姿勢が、志士たちの活躍の場を作り、時代の変革の力となっていったのです。


大事なのは組織ではなく、何を目指すのかということなのだと思います。
利でも名でもなく。大切なのは真理だと。




辻知喜


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催