東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

京都の思い出&考えないと言う事

6日目となりました。

僕が京都に行ったのは幼少の頃、父の転勤の際に泊まった時と中学校の時の修学旅行の時です。
その京都に泊まった時は小学校一年生の時でしたか、覚えているのは宿泊先のホテルのロビーでアン・ルイスさんに「かわいいね〜お嬢ちゃん」と言われた事ですね(笑)。僕は男なのですけどね・・・確かにまつげが男性にしては長いかもしれませんが。

そして修学旅行での『京都・奈良』・・・もう20年も前なのですね・・・記念に作った弥勒菩薩の絵を描いた今は亡きマグカップを思い出しました。
皆さんそれぞれに好きな建造物があると思いますが、僕は、国宝三十三間堂や千手観音坐像、更にはその左右に立ち並ぶ重文千体千手観音立像が圧巻で今でも鮮明に覚えています。関連のHPを見て思い出したのですが、重文 千体千手観音立像の中には会いたい人と似た像がいるそうですね。そういえば当時友人達と好きな女の子の顔を探していたなんて事もありました。


 
写真は三十三間堂のHPの物を引用しています。

人間の記憶には驚かされます。美しい物や綺麗なものはしっかりと記憶に残ります。ここでこういう結びはおかしいのかも知れませんが(かなり強引に!)、操体の臨床において快適感覚がからだを治すというのもうなずけます。気持のよさはからだの記憶に残りからだも喜びをもって治る。なんて美しい利に適った流れなのでしょうね。あと一週間後に訪れる京都が楽しみです、今回は観光とは行かないと思いますが、雰囲気を味わいたいです。

今日はもう一つ、人間のからだは良くできているなと言うこと。
見ただけの判断だけで歪みを一方的に正そうとすると間違いがおこる、それを操体の臨床においては感覚を重視し受けて自身が感覚を聞き分けるから間違いがない。
では、その目で見た歪みは一体なんなのだろう?と言う事になりますね。
僕は思います。からだには取る必要のない歪みが存在すると言う事、そして、その事をからだが知っているのだと。だから頭にではなくからだに問いかける。感覚をもっとも重要としている理由のひとつと理解しています。
上記の文中にも書いている言葉ですが『快適感覚』。
先日も「私にわかるかな〜」と言われましたが、頭で考えてしまっているうちは決して『わからない』のままだと思います。感覚を聞き分けると言う事は頭で考える事でも探す事でもないのです、それはからだと対話することにあるのです。これはスピリチュアル的な事でもなくごく自然な事です。だって原始感覚とはそういうものだからです。

まずは、「どうしたら聞き分けられるのだろう」というような『考える事』をなくして向き合う。
頭でわかったという事ではなく、からだが教えてくれるはずです。大丈夫です、からだは本当に良くできていますから!!
このような説明では納得いか〜ん!!という方もより深く操体にふれ、学びたいという方、是非とも東京操体フォーラムin京都へ!!(くどいですか?すみませんでも是非!!)


西田尚史


8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。