東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

大徳寺とそのご縁

ご無沙汰致しております、動けば来電の如くと言われたい島根の福田です・・只今、東京操体フォーラムin京都の真っ最中であり、
ブログがアップ出来ているかどうかも不安ですが、今週一週間お付き合い宜しくお願い致します・・・
 
今回のフォーラムはフォーラム初の関西開催プラス寺院開催と言うダブルお初と成りました・・
玉林院さんにはただただ感謝でございます・・
縁とは不思議なもので、今回フォーラムを開催させて戴いた大徳寺塔頭 玉林院さんは私が住む出雲地方では有名な
山中鹿介幸盛(1545?〜1578年)墓所がある寺院でもあり、感涙ものです。
いわゆる全国的に見れば、マイナー武将ではありますが地元では代表的な戦国武将の一人です。
陰陽十一州の太守と言われ出雲地方のみならず、広島・岡山方面にまで勢力を伸ばし、我が世の春を謳歌した尼子氏の重臣で、
台頭してきた毛利家に主家を滅ばされた後も、お家再興の為に何度も反旗を翻し、主家再興に生涯を捧げ、最後は毛利家によって謀殺された武将です。

 ど〜しても日本人の特性と言いますか、判官贔屓で敗軍の将への美学と申しましょうか、負けた方への愛情が深いんですよねぇ・・
しかも山中鹿介に至っては、今の日本人がスッカリ忘れてしまった、会社(主家)への深い愛情と言いますか、現代で言えば勤めている会社が乗っ取られて、
倒産しても尚、会社の再興を夢見て、一人ベンチャー企業を興して、乗っ取り先に立ち向かうなんて、織田裕二が泣いて喜びそうなドラマのような話しです・・・
主家の再興を夢見て三日月に向かい「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と願った逸話は有名で、その願い通り何度も何度も毛利家に挑みながらも、
遂には夢叶わなかったその悲運の武将の姿は日本人のメンタリティに響き、江戸時代には講談でより美化され忠義の士として、
戦中・戦前には国威発揚に使われ小学校の教科書に取り上げられたりもしました。

この日本人特有のロマンチシズムとでも言うべき心情は今週のブログには何度となく出てくるとは思いますが、日本人の本質とでも言うべき部分ですのでご容赦を・・・
とまぁ、そんなこんなで話しが、ズレまくりますが、個人的にも私が歴史に興味を持つように成った切っ掛けも、鹿介の主家“尼子氏”なので、
特に今回の玉林院さんには妙なご縁を感じます。
特に山中鹿介は確認出来るだけでも首塚やら胴塚やら墓所っぽいものが、中国地方各地に約7カ所もあり、中国地方以外では唯一、
京都の玉林院さんに鹿介の長男であった鴻池財閥の始祖 鴻池直文(山中幸元)が位牌堂などを建立されたこともあり、これで私の鹿介墓所巡りはコンプリートと成りました・・・
 因みにこのブログを書いている時は未だ、玉林院さんにはお邪魔しておりませんので、是非、お墓参りに行きたいと願っております・・
それでは1週間宜しくお願い致します。


福田勇治


9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催
2010年操体法東京研究会定例講習は9月から始まります。