東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

イスタンブールにて

スペインマドリッドでのセミナーを終え、バルセロナ観光をした後、トルコのイスタンブールに入った。ここでは2日ほどゆっくりとした休日を過ごす予定だ。慣れないヨーロッパの空気でやや疲れてしまった東洋人の皮膚にトルコの風はなんとも心地よい。空港から車で乗り付けたのは、キュベレーホテルという街中のかわいらしいホテルだ。

調度品といい、天井いっぱいにぶら下がっているランプといいオーナーの趣味が見事に表現された素敵なホテルである。

誰かが「三浦理事長の治療所みたいだね。」といった。確かに何となく懐かしい感じすらする空間であった。ホテルに入った私たちは少し遅めの夕食を摂った後、三浦理事長の部屋に集まりミーティングをしていた。さすがにスペインでの日程と飛行機での移動でからだに疲れ感じる。岡村実行委員長が三浦理事長の疲れを癒すべく治療を始めた。私も島根の福田理事の足を借りて、足趾の操法の練習をさせていただいた。部屋中を操体の快の波動が包みこんでいた。福田理事への操法を終えた私は、岡村実行委員長とバトンタッチして三浦理事長の足趾をもみ始めた。考えてみると師匠の施術をさせていただくのは何年ぶりになるだろう。そんな感傷に浸りつつ、足底から足趾へと揉んでいくうちに理事長は「クークー」と寝息を立て始めた。それで皆部屋へ戻りそれぞれ眠りにつくことになった。私は理事長と相部屋であったので、もうすでにいびきをかいていた山本実行委員と共にその部屋に残った。山本実行委員も岡村さんと福田さんのダブル渦状波によりすでに深い眠りに落ちていた。眠気を感じた私は、片隅のベッドに横になり眼を閉じた。隣で『コトッ』と物音がした。私は睡魔と気持ちの良い疲労感に包まれ半分夢の中にでもいる気分だった。その時私は足元に誰かがたった。私自身は眼を閉じていたのでそれが誰だったのかは分からないのであるが、その誰かは私の足を揉み始めた。揉み始めたとはいっても、詳細に表現するなら足趾をぶつけられている状態である。大きくうねる快のバイヴレーションを感じながら私はその足元のだれかの操法にゆだねていた。その時私は、三浦理事長が起きだして揉んでくれているのだろうと想像していた。しばらく味わっていると遠くから「おいまだ起きているのか?」という三浦理事長の声がした。私はハッと眼を覚ました。足元を見ても三浦理事長は立っていなかった。というよりも誰も立ってすらいないのである。恐る恐る三浦理事長と山本実行委員に聞いてみたが、二人とも横になっていたから私の足なんて揉んでいないということである。隣のベッドに休んでいた山本実行委員は一人で私が揺れているのを見て「いや〜、秋穂さんはそんな技を持っているのだな〜と感心していました。」と私が揺れているのは気が付いていたらしい。そこで私の頭にはふっと橋本先生のイメージが湧いてきた。マドリッドのセミナーの中で三浦理事長が「橋本先生は我々と一緒にスペインにやってきました。」という話をしていたことを思い出した。「橋本先生も私達と共に旅をしてくれているのだな。」と妙に納得して眠りに就いた。考えてみると私達が操体の活動をするということは、橋本敬三先生の遺志を継承し伝え広めているということである。私たちが操体をやっている限り、私たちの行くところには橋本先生もついてきてくれる。今回は三浦先生が橋本先生をヨーロッパにまで連れてきた。恐らく来年も再来年も世界のどこかに新しい操体の種を植えに行くのであろう。橋本先生は本当に幸せ者だと思う。亡くなった後でも弟子である三浦理事長が広い世界に連れまわしてくれている。野次馬の親分としては願ったりかなったりだと思う。今後橋本先生と三浦理事長の遺志を継ぐものとして、私たちフォーラム実行委員は成長していかなければならない。ヨーロッパだけでなく、アメリカ、アジア果てはアマゾンの奥地まで操体の波動が世界中を包み込むまで私たちは旅をし続けていかなければならない。ちなみにアマゾンやチベットなどの僻地担当特派員には小松実行委員がすでに就任している。橋本先生もまだしばらく急がしそうである。
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