東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

教養がない

週末は三軒茶屋操体法東京研究会の集中講座が行われています。
今期は、土曜が視診触診講座、日曜が足趾の操法講座です。アシスタントの名目で参加させていただいてますが、自身の見直しと、指導の勉強としてありがたく貴重な時間でもあります。

現在通っている方で、目的として「苦しまずに死ぬにはどうしたらいいのか知りたい」という方がいます。そして、自分自身で「きもちのよさがわからない」とのことなのです。
操体はきもちのよさをききわけ、味わうことがきもなので、ここがわからないことには、第三者には指導ができないんですよね。
ということで、本来は実技の講座なのですが、まずは実際に体感していただこうと、変わった回になっています。

気になったのは、否定の言葉が多いこと。むしろ大半がそうなのです。「でも」とか「わからない」とか「難しい」とか。
中でも、「今までの人は何も教えてくれなかった」という言葉には違和感を覚えました。少し突っ込んで聞いてみると、一から十まで丁寧に順序だてて説明しないと教えたことにならないのだということでした。
教えてくれようがくれまいが、学ぶのは自分のはずなのに。

聞いていて思い出したのですが、八年前、当時は新人で、板橋の方の接骨院で働いていました。当初、院長に言われていた言葉が「教養がない」でした。
教養と言っても、一般常識のようなものではなく、解剖学や生理学とか専門知識の事ではありません。
学ぶということの素養ですね。教える側に求めるだけではなく、学ぶ側にも準備が必要です。
要するに、一度聞いたことは、一度見たことは覚えろということであったのですが。厳しいようですが、そのくらいの覚悟がないと、なかなか身につかないものですね。
自分でできることと言えば、徹底して見るということに集中するぐらいでした。思考を挟まずに、例えば、患者に対しての位置関係や姿勢、角度、速さ、後から反芻できるように、映像として全て記憶しようと思っていました。形からはいるくらいしかできないですからね。
操体の講習の場では当時とは見方が違う気もしますが、積み重ねの変化なのかなとも思います。

まずは覚悟と心構えですよね。

ちなみに、その方、受講中リラックスしているときに、「きもちいい」とか、「最近背骨がいい感じなんです」とか口にするんですけどね。でもなぜか終了の時間になると、「自分じゃわからないからね」「難しい」と言い直すのです(笑)
講習を通して、からだの歪みも表情も変化してきて、何より毎週楽しみに通っている様子が伝わってくるので、それだけでもよかったのかなと思います。
次回で一応最終回を迎えるのですが、どうなるでしょうか。


うちの本棚に、「上達の法則」という本がありますが、そういえば、畠山先生に教えていただいたのでした。これ、おすすめです。


辻知喜


上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)

上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)


Facebook東京操体フォーラムのファンページをつくりました。

東京操体フォーラム Tokyo Sotai Forum

ファンページも宣伝する


次回の集中講座は2月から始まります。
http://sotai.org/2011sokushi/