東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

心にのこる先人のことば(2)

維摩経(ゆいまきょう)のなかに「ただ、諸々の存在があって、それらが結びついてこの身を成している、生まれてくると言ったって、此の私が生まれるんじゃない。唯結びついて、そこに意志(イノチ)ある存在が生まれるだけのことだ。此の私という、とらわれの心で自分をみなくていい。ただ諸々の存在でいいのではないか。死する時も、ただ存在が滅するだけのことだ。つまり此の私が生まれるとも死ぬともいわない。存在が生まれて存在が死ぬ、というだけのことだ。『但(ただ)衆法を以て此の身を合成す 起こる時は唯(ただ)法の起こるなり、滅する時は唯法の滅するなり、此の法の起こる時我が起こるをは言わず、此の法滅する時我滅するとは言わず』

・浄土宗 弁栄聖者の訓言
「宇宙の中心に一大心霊あり」自己を客観視し世界となし、それを自ら長め自らたのしむ。一大心霊とは天地をつらぬく永遠の理を意味し、それは陰陽未分の一なる太極、その意志の絶対(真理)が永遠の理である。永遠の理(一大心霊)に従えば、透明清澄なる精気があふれ、謙虚、謙遜、清廉なるおだやかな生き方がかなう。

「かなしみはいつも」
かなしみは みんな書いてはならない
かなしみは みんな話してはならない
かなしみは わたしたちを強くする根
かなしみは わたしたちを支えている幹
かなしみは わたしたちをうつくしくする花
かなしみは いつも枯らせてはならない
かなしみは いつもたたえていなくてはならない
かなしみは いつも噛みしめていなくてはならない
「六漁庵哀歌」 真民さん


宮沢賢治「心象スケッチ」の序文
私という現象(可視)は、仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です(それは、あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなと一緒にせわしくせわしく明滅しながらいかにも、たしかに、ともりつづける。この生命は、このイノチは因果交流電灯のひとつの照明です。

この「有機交流電灯」とは、生命をもっていて、その生命が交流電灯のように、50分の一秒、60分の一秒という速さで点滅をくりかえす。実際には滅の状態にあっても、余りに早く点滅をくりかえすために、ずっとともりつづけているかのように思われている生命体ということになる。仏法では「刹那(セツナ)生滅(ショウメツ)」といい、私という現象は「一刹那、一刹那生滅をくりかえしている生命体」と、考える。その一刹那は75分の一秒の速さで生滅(イノチ)をくり返している生命体が、この人間というものなのである。そしてこの「生」は、どこからやってくるのか、といえば「光」と呼ばれる永遠の生命(太極)そのものからやってくる。やって来てはまた帰り、やってきては帰ることによって人は生かされている。帰ってきて再び来ないと「死」ということになる・・・。


三浦寛

2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて開催致します。http://www.tokyo-sotai.com/

2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。


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