東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

贈り物

こんばんは、小代田です。今日も一日終わりに近づいています。皆さん今日はどんな一日でしたか。夜が明け、太陽が昇り、そして明日へと移り変わる。それは私達の意思とは関係なく繰り返される。どんな時も新しい日は訪れ、私達を未来に向かって歩かせる。
今回のブログも残すところあと2日になりました。今日もどうぞよろしくお願いします。
以前なにかの本で「人は美しいものに癒される」と書いてあった。それは子供もお年寄りも同じなのだそうだ。確かにそうかもしれないと思う。
私は訪問マッサージの仕事を始めてから、今まで会うことがなかったような人達と会うようになった。そしてそのお宅を伺うようになり、多くの時を共に過ごさせて頂いた。出会った方、それぞれが色々な人生や今を生きていた。ともに喜び笑ったことも沢山あるけど、同じくらい痛みや悲しみを分かちあって過ごした。その時一つ決めたことがある。それはその方達に会う時だけでも美しく優しくいようと。
それまでお化粧と身なりは自分のためのものだった。化粧をしようとしまいと自分の勝手だ、歩き方だって、話し方だって。でも思ったのだ、美しいものが人を無条件に癒すのならそれにならおうと。
女性が神様に与えられた特別なこと、それは人をその存在で癒せることではないかと思う。それは見た目の美しさだけでなく、動きの優しさ、その声、柔らかく表現することが出来るそのからだ。女性はその在り方で、人を癒し勇気づけることができる。これは美人とか美人じゃないという事とは少し違う。それは男性がいくら望んでも手に入れることが出来ない質的なこと。女性はそのからだに無条件の癒し、そして赦しを持って生まれてくるのではないかと思う。
女性の肌は薄く繊細だ。時にそれはやっかいだけれど、その分その肌は細やかな感受性を持っている。女性は無意識に多くの感覚を同時に使っている。例えば日々の肌の手入れで使う化粧品一つとっても、女性はその手触り、肌なじみ、香り、肌の感覚と多くの感覚を同時進行で味わっている。女性はその肌に五感を宿している。
これもきっと神様が女性のからだに下さった男性にはないものだと思う。ある方が以前言って下さった言葉を思い出した。「女性は学ばなくても生まれながらに全てを知っている。男性はそれを知らないから学ばなければいけないんだ。だから君達女性はそのまま生きれば良いんだよ」と。
そして男性、男性も女性と同じように特別な何かを神様に与えられている気がしている。そしてきっと、それは女性にはないものであり、女性が欲しくても手に入らないものなのだろうと思う。それは絶対的何か。自分の性を見つめた時、そんなことをふと思った。
さて、今日も操体の話から大分それてしまったけれど、そろそろ明日を迎える準備をしたいと思う。操体とは離れてしまっているかもしれないけど、きっと操体を学ぶ上でも大切なことなんだと思う。それは操体が命を学び、そして自分を知り学ぶことでもあるから。
今日も生かされた命に感謝して。そして明日という日が、遠く離れた友たちを守り力づけてくれることを祈りながら。


小代田綾