東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

女性にモテるには。

最終日となりました。

異性にモテなくてもいい、というのは人生投げたようなもの。橋本敬三先生は85歳過ぎてもなお、色気と茶目っ気をお持ちだったそうで。自然農法で有名ある方は、数年前に亡くなられましたが、80代半ばでも「オトコとオンナの関係」にある彼女がいたそうです。

話は変わって

ある女性がある男性のところに相談に行った。私は立ち会いとして2人の話を聞きながら、途中でアドバイスをはさんだりした。女性が納得して帰った後、男性は私に「彼女は一体何が言いたかったんだ?」と聞いた。

「話をきいてもらったから、それでいいんです。女の相談に対して『だから、オマエは何を言いたいんだ』と言うのは、典型的な男性の思考で、女が何か話をしたら、取り敢えずわからなくても同意するのがモテる男だ、『何を言いたいんだ』と聞いてはいけません」と指導しておいた(笑)

これは事実である。

別の話。
私がある人に「○○さんって、私にこんなひどいコト言うんですよ〜」と訴えたところ、「いや、ちがいますよ。そんなつもりで言ったわけじゃないと思いますよ。悪い人じゃないですよ」と言われた。
こういう話をオンナからふられた場合、最初に「そんなことないですよ」と否定してはいけない。こういう場合は「え?そうなんですか。ひどいな〜。でも多分そんなつもりじゃないと思いますよ」と、まず最初に同意するのが最善策である。何か相談したら、最初に「違いますよ」と否定するようなオトコには二度と相談なんかするかよ、と思うのが女子である。女性にモテたかったら「何が言いたいんだ」とか、女性が言ったことを最初に否定してはいけない。まずは黙って聞くか、最初に同意すればいいのだ。これは紛れもない事実である。これで損をしている男性がどれ程いることだろう。
モテたいのだったら、上記2項は重要ポイントである。

なお、最近の「草食系男子」の出現を嘆いている男性諸氏もいるが、世の中の平和が続くと、男性が小綺麗になるのは世の道理である。
江戸時代(笑)の初期は、それまで戦国時代だったこともあり、「ワイルド系」の男性が主流だったそうである。ヒゲにもみあげという感じ。しかし江戸時代に入って元禄時代にはいると、男性の草食化ならぬ装飾化に移っていった。とにかくむさ苦しいのは「ダサい」とされ、何とヒゲは剃らずに抜いていたらしい。また、着物の裾をからげたり、ふんどし一丁姿を見せる姿でアンダーヘアが出ていたらそれこそ「ダサくて野暮」と言われる。なので、銭湯の男湯にはヘアを切るための「毛切り石」があったのだ。それくらいすっきりと垢抜けた感を出すために、江戸のふつ〜のオトコは身だしなみに気をつかっていたのだ。

江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

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もうひとつ。手元の参考資料によると、「額は広め、鬢(びん)はちょうどよい厚みに素直に仕上げるのがよい。ただしおくれ毛は一本もあってはダメ。ふだんから鬢つけ油は必要で、1日に三度は鬢をとかせ。眉は尻上がりに形づくる。ヒゲは徹底的に抜き、歯は白く、爪はまっすぐに切れ」。これは何かというと、当時のオトコが遊郭に登楼する際の身だしなみ指南である(色道大鏡より)。江戸のオトコは小綺麗にしていたのだ。遊女にせよ、小綺麗で垢抜けたオトコのほうがいいに決まっている。

第1分析時代は、からだの中心腰から動くのがメインだった。第2分析が生まれ、連動の秘密が解き明かされると共に、からだの動きは末端から表現するようになった。勿論末端からの表現で、快適感覚がききわけられない場合は「逆連動」として、からだの中心腰から動きをとらせる場合もある。

女性が男性を襲う(爆)場合は、からだの中心(笑)からアプローチしてもいい。何故なら男性の感覚帯はその辺りに集中しているからである。しかし、男性は自分がそうだからといって、いきなり女性のからだの中心にアプローチすべきではない(大抵は痛みを与えたりして、嫌われる)。女性を扱う場合は、末端からアプローチするのが得策である。
痛いとところに直接手をかける、つまり腰が痛いと腰を揉むとか、骨盤をいきなり調整するのではなく、操体的に遠方から、末端からのアプローチが有効ではないかと思う。

そういえば、ネットで悩み相談などを見ていると「彼に不感症と言われました」というのが結構あり、「へえ」と思って読んでみると、まだ経験が浅いということがある。たかが2,3回で「感じる」ことができるほうが珍しいに決まっているのだ。この「彼」の問題点は「男女の感覚の差」「男女のからだの違い」を知らないことと、恐らく手抜きをしているのである。

また、操体でも「感覚の勉強をしなさい」と言うが、秘め事においても「感覚の勉強」は必要なのである。操体を学び、きもちよさをききわける学習を続けて行くと、極端な話、指一本曲げるだけで全身形態を操ることができ、極上のきもちよさを味わうことができる。女性のからだも同じなのだ。いや男性もそうかも。
女子が最初からきもちよさを味わえる場合もあるかもしれないが、レアなケースだと思う。というか、よく青年誌のコミックなどで「処女で巨乳でエッチで大胆で初体験で感じまくり」という女の子が出てくるが、あれは全くもって男性の幻想だ。もしくはAVの見過ぎである(笑)。

オトコの脳、オンナの脳の違いを勉強するのも修業?のうち。違うからこそ、面白いのだから。

セックスしたがる男、愛を求める女

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二人で育てるスローセックスイッたフリはもう、しない。

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恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

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ことばに感じる女たち (ワニ文庫)

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また、女性にしても「お勉強」は必要だと思う。「自分の要求ばかり通すが自分は殆どマグロ女」だったりというのはよろしくない。これについてはまた。

一週間色々好きに書かせて頂いたが、最後に映画を一つ紹介しよう。
私はこの映画を映画館で5回観た。オリジナルはブロードウェイのミュージカルで「ヘドウィグ&ザ・アングリー・インチ」だ。ヘドウィグはアメリカ中をツアーして回っているロックバンドのヴォーカリストだ。今は「女」だが、元はオトコだった。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

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ヘドウィグは旧東ドイツの生まれだ。とても可愛い男の子に育ったが、父親がベッドの中で、ヘドウィグに「悪いいたずら」をしているのを見て、母親はヘドウィグを連れて離婚する。その後10代半ばを過ぎ、ますます美しい男の子に育ったヘドウィグは、アメリカ軍の軍人(勿論オトコ)に見そめられる。
その後、東ドイツを脱出するためには結婚が必要ということで、母親はヘドウィグに性転換を勧める。ヘドウィグは手術を受けるのだが、東ドイツの医者は性転換手術になれていなくて、1インチ(3センチ)ほど「残って」しまう。だから「アングリー・インチ」なのだ。
アメリカに移住すると、軍人の夫は新しい恋人(勿論オトコ)と去って行ってしまう。その後、ヘドウィグが「ロック」を教えた男の子が大スターになり、ヘドウィグは彼のツアーの後を追って、自分のバンドのツアーをするのである。ツアーメンバーの中にヘドウィグの「夫」がいるのだが、最後のシーンで「夫」は「女」だったということが明かされる。性別の違いとは何か、そんなことを考えさせられる。
勿論暗い映画ではなく、楽しい映画なのだが、何だか心に響くのである。

男女は本来一つだったのだが、神様が何らかの理由で二つに分けてしまった。なので、お互いに片割れを見つけるために生きている、そんな言葉が非常に印象的である。

最後のシーンで、ヘドウィグがカツラ(金髪のトレードマーク)を外し、服を全部脱いで去って行くシーンは非常に迫力がある。お尻があまりに美しいので(ホントです。本当に美しいお尻なのだ)それにも度肝を抜かれるのだが「いや〜、オトコもオンナも本来は一つだったんだよね」としみじみ思うのである。

一週間ありがとうございました。

明日からは島根の福田画伯です。