東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「時節到来」とそのつながりについて(1)

今週は2日間か3日連続で、人生の「時節到来」について話します。時節到来とは、一人一人、自分にかかわる運気や気運のことです。私事ですが、この時節到来がいつ頃あったのか・・・と、たぐってみることにしました。

ありました。すでに18歳の時にです。18までは右回転の人生でしたが、一気に左回転の人生にギアチェンジしてしまったような、運気に乗っていた、ということです。その運気は、正師、橋本敬三先生との出会いにありました。63年前、この世に、この両親からイノチ(生命)を頂いたのが最初の時節到来、そして18年後、何の面識もなく正師に出会えたことが、第2の誕生ということになります、その第2の誕生を「愛の誕生」と名づける。なぜ愛なのでしょうか。
なぜ愛なのか、正師との出会いから綿綿と44年間もこのご縁がつながって、私の生きる誠だからです。師の愛の継承そのものが、師が成し、成したる道を歩むことではなかったでしょうか。それは何にもまさる有難き運気でした。このまま生涯、学び続けることは、まちがいのないことなんです。ふと想えば私がこの世に生まれてくる前に、すでに用意されていたように思ってしまうのです。そして、ただ私はそのレールに乗っかっているだけなのかも知れない・・と、思い感じることがたびたびあるのです。なぜなら私自身、この運命に全く迷いがなかったといふことなのです。私として選択するという考えがまるでなかったのです。
人生とは、自分自身が選択するといふことでもなさそうです。それが、また、時節到来のチャンスをつかむことにつながってくるのではないのでしょうか。その気運をつかんだら、あとは、それに乗っかっていればいいだけのことかも知れません。時節到来は人との出会いが運んでくるんだな・・・ということがわかってくるのです。

私は正師が言われる注意ごとや、注文に対して、言い訳や反発をしたことがありません。そして、師がこの世を去ったあとも、言い訳していない。正師にはまづ「ハイ」と言える自分がいます。「ハイ」の言葉は前進であり、調和するから正しいのです。言い訳は後退であり、おのれの執着であるから対立する。時節到来の気運は。言葉が運んでくることがわかってきます。
正師の側にいさせて頂いて、月日が流れる・・・。正師の息のなかで。呼吸のなかで、そして、学ぶという姿勢のその厳しさのなかで、日々過ごせる自分がなんとおだやかなやすらぎを得ているのでしょうか。

日々、このご縁を切ってはいけない、このご縁とつながっていたい、切ってしまえば、糸がきれた奴凧同然ではないか。とにかくつながっていること、その想いは日々日々強くなってきます。そして5年10年・・・・・44年の歳月が流れ、より一層くさびを打つ、つながりへと展開していく・・のです。