東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「時節到来」とそのつながりについて(4)

バカモン!と説教されて、納得、納得。これでスッキリした。怒ることなんて一つもない訳である。もし怒るのなら、慢心、邪心があるからであろう。

「らく」から「快」にギアチェンジして1年、2年と歳月が流れ、1つ1つ整理し、まとめていきました。そこでまた、時節到来の運気がめぐってきました。今は亡き、柏樹社の社主、中山信一社長から、本を出版するようにすすめられたのです。「橋本先生には、話をつけ、了解していただいてあるから、思う存分書いてみなさい」とのことでした。中山社長は、私の言動をじっと見て下さっていたのだ。
その依頼から1年後、正師の卒寿(90歳)の年に完成、師にお渡しすることができた。正師は「これでいい」と言って下さった(私39歳であった)。

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

この年は創元社から「生体の歪みを正す」が出版されている。この本は出版までに、なんと10年かかっている。創元社のトップが難色を示し、ストップがかかっていたのだ。正師は編集の保坂氏に、何度も出版を急ぐようお願いしたようである。

時節10年目にして、正師の念願かなふ。正師90歳。待ちに待ち望みつづけたこの一冊。目にするたびに霊気がはしる。私は師よりこの本を2冊いただいた。その1冊の裏表紙に、言葉をのせていただいた。一見、何を残されたのか。たどたどしい字である。よくよく師の字体をなぞってみると、「三浦君、あとは頼む」と書いてあった。
ふるい立つ想いで、目にしたのである。

生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

処女作「操体法治療室」が、でき上がりました。しかし出版にあたって、正師の身内から、クレームがついたのです。はじめに取りつけ了解ずみであった約束ごとが、ことごとく破棄されたのです。、監修から正師の名がはぎとられ、「タイトル」も、改題されてしまいました。その上、正師の本棚に置いてもらえなかった。本心、心底くやしい思いがしましたネ。くやしくてくやしくて、なんでこんな「仕打ち」が待っているのだろうかと。でも、これも一つの大きな試練で、自分が試されているんだなと、思いました。

しかし、その無念のくやしさが、また時節到来の運気を運んでくれたのです。その後、次から次へと出版のチャンスが与えられ、十冊以上になってしまっていたのです。どうですか「つながっているイノチがあるじゃないですか!」

そしてさらなる時節到来がめぐってきたのです(1999年、当時50歳)バラ研(全国操体バランス運動研究会)の全国大会を東京で開催したことでした。東京での開催は、16年間なかったのです。会場は早稻田大学の国際会議場の大ホールでした。下見をして内心おどろきました。ゆうに、千人以上が入れるホールなのです。
ウーン、この会場をうめることができるのかと、背筋がゾーッと凍りつきました。私は亡き師に「師も望んで下されば、命がけで、やりとげますから、力を貸して下さい、見とどけていて下さい」・・・・と。そのかいがあって、二日間満席の状態だったのです。

さらに時節到来の運気は連鎖していく。それは東京操体フォーラムの設立だ。すでに10年になる。昨年から京都でも開催、スペインでもセミナーが開催されるまでに育った。
その間、他の分野で活躍される指導者を講師に招き、「一つにつながっていく」という目的が成されるようになってきた。この中には、お互いに学びあえる素材がたくさんある。それは感無量の歓びである。この無量の歓びを共有していくことも、時節到来の気運が巡ることにつながっている。フォーラムに招いた指導者は、意識の世界でぶっ飛んでいる人達だ。ぶっ飛んでいる人達とつながっていくことは、一人一人の人生にとって大きな財産となる。
静かに暮らし、コツコツと静かな汗を流し、そして涼しげな顔をした人達である。
本物でした。


新田和長氏(ドリーミュージック エグゼクティブプロデューサー)と。


平直行相談役、島津兼治先生、さがゆき氏と共に