東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

時空と瞑想

今週は日下が担当します。
テーマは時空。時空といえば「瞑想」を外すことはできない。今回はこの瞑想から時空へと展開していこうと思う。 その前に「空間」と「時間」の概念について西洋と東洋を比較検証してみる。「空間」と「時間」はまわりの事象を整理する上で大いに貢献もするし、科学や哲学をとおして自然を理解していく上できわめて重要でもある。数学的な公式を立てるのに、「空間」と「時間」を必要としない物理法則はないと言っていい。古典物理学は「絶対的な三次元空間」と「独立した次元としての時間」という「空間」と「時間」の概念を基盤としていたのである。
このことは「空間」とは、そこに含まれている物体に影響されず、幾何学の法則に従うものであるということだ。そして「時間」は絶対的でしかも等速度で流れ、物質の世界から完全に独立しているという。西洋ではこのような空間、時間の概念が哲学者、科学者の心に深く根をはり、疑う余地のない自然の性質だと受け止められていたのである。幾何学は自然の本質そのものだという信念は、古代ギリシャの思想にその起源がある。しかし、あのアインシュタイン幾何学が自然の本質ではなく、人間の押しつけであることを西洋の科学者や哲学者に認識させたのだった。相対性理論の認識の中心にあるのは、幾何学は知性がつくりあげたものだということにつきるのである。
一方、東洋の哲学はギリシャ哲学と違い、常に、空間、時間は人間がつくりあげたものだという立場をとってきた。他のすべての知的概念と同じように、空間、時間の概念も、相対的であり、限界のあるものであって、幻であると見るのだ。ある仏教経典でブッダは言う、「過去も未来も、空間も、個体も、ただの名前であり、思考の形態であり、慣用語であり、表面的なリアリティーにすぎない」と。このように東洋哲学は、ギリシャ幾何学としては成立しなかったが、それはただ、抽象的、永久的な真理を規定するのに幾何学を用いたりはしなかったということだ。東洋の科学では、自然を直線や円の内にあてはめる必要性をまったく感じていなかったということである。
東洋では空間と時間の両概念を特殊な意識状態と結びつけて考える。東洋は瞑想によってふつうの状態を超越し、空間、時間の概念が究極的な真理ではないことを悟る。この神秘的体験から生まれる新たな空間、時間の概念は、多くの点で相対性理論の空間、時間の概念と酷似しているのである。相対性理論から生まれた新しい空間、時間の概念は「空間と時間の測定はすべて相対的だ」という発見に基づいている。空間を相対的に捉えること自体は、何も新しいことではなく空間内の物体の位置は他の物体との相対位置で定義できるが、このことはアインシュタイン以前から東洋ではよく知られていたことだ。東洋の神秘思想にあるこの考え方を西洋幾何学に既成概念の修正、放棄をさせるにはアインシュタインという偉大なる天才がどうしても必要だった。そして現代物理学はきわめて劇的に生まれ変わることができたのである。
操体の時間と空間についても「快適感覚を味わう」ということにつきる。また快適空間と時間も相対的であり、最快適点である「たわめのマ」に至っては、時空を超えた意識状態であると私は理解している。
明日に続く



東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。