東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

時空と瞑想(最終日)

昨日の続き
仏教の僧は過去よりずっとお茶を飲み続けてきた。お茶は仏僧の瞑想の一部だったのである。そこには何かがあるように思う。お茶は仏僧によって発見された。それは中国の「TA」という僧院で発見されたので「TEA」と呼ばれるようになった。その「TA」は「cha」とも発音できる。だからマハラシュトラ語ではそれは「cha」と呼ばれている。そしてヒンディー語では「chai」と呼ばれている。それらはみな「TA」の僧院から来たものだ。
最初のお茶の木を栽培するように命じたのはかのボーディー・ダルマこと達磨大師にほかならない。その逸話はとても美しい。私がもっとも愛して止まない逸話だ。 達磨は瞑想していた。彼のような瞑想家はごく稀にしか起こらない。達磨は九年の間、壁に向かって坐っていた。九年間ただの壁だけを見つめて他には何もしなかった。時に達磨は眠りに落ちた。それは自然なこと、しかし彼は眠りたくはなかった。そこで達磨は眼を閉じることができなくなるように自分の瞼とまつ毛を引きちぎって庭に投げ捨てたのである。そしてその瞼、その皮膚のかけらとまつ毛から最初のお茶の木が生えたのだという。これはこの上なく美しい話だ。
禅の仏教徒宗教的な儀式に必ずお茶を飲む。インドで生まれた禅は中国で育ち日本で花開いた。そしてその禅から茶道が生まれた。日本人にとってお茶はあたり前のものではない。お茶は我々の目を覚ましてくれる。我々の意識を醒めさせてくれる。もっと注意深くあるためのエネルギーを与えてくれる空間を創り出してくれる。その空間からとても祈りに満ちた優美な儀式が生み出された。それが茶道だ。禅の僧院には必ず離れにお茶の庵がある。僧院で一番美しい場所にある。池や岩や砂や木々に囲まれている。その庵に行く時には一定のしきたりに従って行かなければならない。それに従うには多くの時間が必要だ。お茶が準備され、釜が鳴り始め、一同は沈黙の裡に坐してその釜の鳴る音に耳を傾ける。そしてゆっくりとお茶の芳香が鼻孔に届いて、その香りも飲まねばならない。そしていよいよお茶が給される。大変な優雅さと、大変な美しさの技によって、茶の作法が繰りひろげられる。大変な愛と気遣いによって作られた美しい器にお茶が入れられる。それはとてつもなく祈りに満ちた中で行われ、誰もが沈黙にとどまり、何のうわさ話も雑談もない。そこにはまるで誰もいないかのようだ。そして大いなる啓虔さでもってお互いに深く礼をし、何も語ることなく散って行く。一体何という空間なのであろうか。この空間、この茶室においては、目が閉じるのを許さない。お茶は目を覚ましてくれる。より覚めているために時間が止まってしまった空間なのである。
インドから中国に渡った禅は、道教儒教の影響を受けたことによって、茶道を初めとする武道や華道といった「道」を育むことになった。今や操体も「道」として歩み始めている。

明日からは平さんの担当です。よろしくお願いします。



東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。