東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

時空を超える最終日。

武術の学びの時空の超え方には、2つの種類が在るように、僕は感じる。
1つは自分自身を、積み重ねる事。
学びの中で、手にした物を、自分の内側で積み重ねてゆく。
もう1つは、自分自身を解き放つ事。
常識という物を、少しずつ剥がしてゆく。
武術の達人は、常識的には在りえない存在とも思える。
ところが、達人は本当に存在した。
現代の常識を当てはめたとしても、そのままでは、達人は理解出来ない。
理解出来ない事を、同じ常識の範疇で行っても、無駄な時間となる。
存在する物には、理由が在る。
常識外の存在には、常識を超えた理由が存在する。
だから現代の常識を、上手に剥がしてゆく事も、学びの大切な作業となる。
その作業は、師匠の言葉、師匠から戴く先達の方々の言葉に
よって行わなければならない。
自分勝手に行ったら、そこで道は途絶える。
行き着く場所は、訳の解からない場所となってしまう。
日本の武術を行う、当時の日本を知らなければただの迷子となる。
上っ面だけ覗いても、そこには到底行き着く事は出来ない。
昔の日本人は、靴は履いてはいない。
歩くという動作は、日常で沢山行う動作。
日常で沢山行うという事は、日常的に身体に大きく影響する。
その動作は、身体操作の根幹となる。
身体操作の根幹に、総ての動作は乗る。
だから、武術を学ぶなら、武術の時代の歩き方を知らなければ。
似ていても別の物となる。
武術の時代に、武術家が靴を履いたら
変な動きになったように思う。
日本人は、草鞋を履いていた。
いえいえ、実はそうでもないのです。
江戸時代の絵を見ると多くは裸足だったりするのです。
室町から鎌倉時代の戦場の絵。
みな裸足だったりします。
武術が戦場で使われた時代、みなが裸足であった。
靴を履いたら、動きは全く違った物となった筈です。
時空を超えて武術のご先祖様が僕に
語り問いかけているようにも感じたりします。
「動きその物が違う、そこに気が付かないと駄目だよ。」
「気が付けば、手にする事はそれ程難しくはないよ。」
そんな声が聴こえるような気もします。
ホンの少しの違いが分かれば手に出来る。
大概大きく違った事は無い。
ホンの少しの違いが大きな違いの元になる。
その根幹を知る事が学びのコツ。
時空を超えて声を聴くという行為。
それは全ての学びでも、同じように在る様に、僕は感じます。
時空を超えるとは概念ではなく、現実です。
少なくとも、僕の武術の学びでは、ごく当たり前の事なのです。
そもそも人の身体には、DNAという時空を超えた
情報が満載しているのですから。

1週間お付き合いありがとうございました。

来週は九州男児の辻君が担当です。

東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。