東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

歴史のif〜時空を超えて(戦国時代篇)

このブログはご存じの通り各実行委員が毎回、テーマの中から自分の考えを表現していくわけですが、時として趣味嗜好が似通っている方がいらっしゃいますと、当然、ネタがかぶったり、同じテーマを書こうとしたりと否応なしに書き換えを必要とされるのです。それが数ヶ月前の実行委員であれば猶予があるのですが、一週間前となればひたすら焦りの一途でしかありません。
などと、ここでボヤいても始まらないので、時空ネタで今日もお付き合いを・・・

先週の畠山先生のブログにも何度か出て来ていましたが、私も個人的にタイムスリップ、タイムトラベルネタは大好きです。歴史好きの方なら一度は歴史上のifを考えたことがあると思います。今回は個人的に好きな戦国幕末ifを取り上げてみたいと思います。

私の中の戦国ifはやはり織田信長でしょうか。もし、信長が本能寺で斃れていなければその後の日本はどうなっていたのか?この話は様々な歴史学者の方や小説家も取り上げているネタなので、今更って感じもありますが、私なりに時空を飛び越え考えてみたいと思います。

しかし、この信長ifはどう考えても、最後は人間関係で行き詰まってしまい、時期や人間は違っても、誰かが“本能寺”を起こしてしまい、信長は天寿を全う出来ないという結論に至ってしまいます・・・
では、本能寺前後の信長の心理状態、有力家臣団の心理状態はどうだったのだろうかと?ふと、其の時の状況を考え分析してみました。

先ず、当の信長公本人はと言えば、まさに我が人生最高の時でなかったかと思われます。数年前に長期に渉った信長包囲網も本願寺との講話により、実質上破綻し、信長自身の驚異となる勢力は、国内においてはほぼ居なくなったと言ってもよい状況となっていました。
一方で有力家臣団はと言えば、筆頭家老の柴田勝家においては信長に絶対服従であり、ひたすら秀吉、光秀などの中途採用家臣団に遅れをとらない様にと必死だったと思われます。状況的にも東北方面の抑えに必死で、謀反の余裕無し。自席家老的存在の丹羽長秀は信長の子息信孝の補佐で四国征伐の道中であり、しかも自身の独立した軍を持っておらず。滝川一益は関東の抑えに必死、地理的にも謀反の余裕無し。池田恒興も同様に目前の仕事に追われ余裕無し。
信長という人は親族以外には徹底した能力・成果主義であり、現代的に言えば会社開業当初からの古参の重役や部長クラスの人材でも使えないとみるや、追放・放逐したりと、どんなに現在重用されていても将来的な保証、安泰とはならず、いつ首を切られるか分からないビクビクした気の休まらぬ精神状態で日々をおくっていたのだと思います。
現代的感覚で考えれば非常にドライな人事であり、今の日本の状況なら余り違和感を覚えないのかもしれません。ですが、信長当時の戦国大名家での雇用状況を考えるとかなり異質だったと言えます。当時は大名家に使える代わりとして一族郎党の生活を生涯保障するのが常識であり、その代償として主君のために命を懸けて働くのが、日本武士団での一般的雇用形態だったのです。
それが、ミスをすればそれまでお家に貢献していても、明日から一族郎党が路頭に迷う状況では、誰しも心休まらず過労死寸前の状況だったと言えます。
その中でも決定的だったのが、当時、出世頭で実質上織田家NO2だと思われていた明智光秀が、当時治めていた領地を全て没収の上、未だ敵方の領地だった地への国替えの沙汰を出されてしまいました。
多分、この国替えが行われた時に織田家の全重臣達が、あれだけ出世しても未だ駄目なんだと奈落の底へ突き落とされたと思います。
この集団ヒステリー状態が最高の沸点に達したのが、『本能寺』であった様な気がします。未だに様々な黒幕説が歴史家の中からも言われており、真偽の程は不明ですが、光秀に直接聞けば、案外肩すかしを食うほど人間臭く、単純な動機だったのかもしれません。光秀がやらなくても条件が揃えば、秀吉が実行していたでしょうし、歴史の事実なんて学者が考えるほど複雑なものでは無く、単純に動物的であり、種の保存や我欲だったりと、NHK大河の脚本以上に肩すかしかもしれないのです。
あれだけ緻密に多方面に内政・外交・侵攻戦略を練っていた信長が、国家経営といったマクロな視点に目を奪われすぎ、家臣団というミクロな部分に目が行き届かなかったということが何とも歴史の皮肉だと思います。

よく考えれば現代も、この頃の日本とよく似た状況にあり、多くのサラリーマンの方達が、不安定な政治状況、世界的不況による円高と雇用への不安など、明るい要素が見えない中での生活を余儀無くされています。
それを表すかの様に、我々臨床家が日々思うのが年々増加している『ストレス性疾患』が原因であろうと思われる症状です。
私が開業した約10年前には『肩こり、腰痛、神経痛』などと言った症状が大半を占め、その殆どが原因が明らかなものだったのですが、昨今では病院に行っても特に悪いところは無いと言われるとか、ストレスですねぇで片付けられて、特に何もしてもらえないなどと訴える方が非常に多くなっていることです。
大丈夫と言われてるのに、この不快な痛みは何ですか?と・・特に今年に入って、震災以降は、目に見えないストレスとの戦いという新たな局面も向かえており、何とも悩ましい限りです。
もはや物事を数値化することで成立していた現代医学の限界が来ている様な気がして仕方ありません。信長の話から何故、ここまで話が飛んでしまったのか不思議ですが、今後の臨床家は見えないストレスという怪物との戦いに終始するでしょうし、よりクライアントにストレスを与えない施術へと変化を求められてくるものと思います・・・


最後に信長ネタをもう一つ、この閉塞感漂う日本の政治状況を打破するには信長の様な固定概念を持たない破壊者が必要なのかもしれません。そこで、興味がある方は1994年にヤングアニマルで連載していた内閣総理大臣 織田信長をお読みになるのをお勧め致します。新党のぶなが党首の織田信長が主人公になっており、その他秀吉、家康、勝家など信長好きならずとも歴史好きの方にはたまらんマニアックなエピソードが幾つも散りばめてあり、笑えます。
やはり信長は偉大です・・・

内閣総理大臣織田信長 1 (ジェッツコミックス)

内閣総理大臣織田信長 1 (ジェッツコミックス)

東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。