東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

肉体と意識

二日目です。今日はからだの肉体と意識についていろいろ僕なり考えてみましたので、よろしくお付き合いください。
来院される患者さんと話していて気が付いたのですが、学生の若い子は「夢」などの未来など現在より先の時間について考えたり、話すことが多いような気がしますが、年配の患者さんとは「若いころ」の出来事など現在より前の過去の時間について話すことが多いような気がします。僕自身も最近は昔を懐かしく思うこともあり、それだけの人生の歩みができたということかもしれませんね。
これは人間がこの世に生を受けたことで、からだに魂と肉体をもっているからで、魂・意識は未来でも過去でも、またどんな場所空間でも時間や距離に関係ないほど自由なものなのではないでしょうか。この世は自分という肉体をいただいたことによって、時間の進み方、距離など肉体によって生まれる縛りがあるために、魂・意識の自由を要求・欲・願望など自我を満たそうとして、例えば人間は時間や距離を縮めるための乗り物を開発し、満足することなく更に今後も時間や距離を縮める努力をしていくのだと思います。
魂・意識は自由だからこそ、からだの肉体を、自由に使っていますが、本当にそんな使い方で良いのでしょうか。からだの肉体に対して、自由に自分勝手に使っていた方ほど、「もっと使えるはずだ」「若い頃はもっとできた」と肉体を更に意識の思い通りに使おうとしていないでしょうか。からだの肉体にも、使い方・動かし方のルールであり、そのルールを説いているのが「身体運動の法則」なのです。
人間はからだの魂・意識の学びと肉体の学びによって、人生を学ぶ・成長ということになるのかなぁ。なんて考えてみました。
操体では「操体法」と「操体」という言葉を使い分けています。「操体法」とは、橋本敬三医師が臨床で行っていたことを指し、「操体」とは、橋本哲学を含めたものを指します。橋本敬三先生ご自身も「操体操体法は違う」と言われていたそうです。この哲学のなかで、「救いと報い」の概念があります。簡単にいうと、魂は完璧で最初から救われているということ、報いは相対的でこの世に生まれて自分がしたことは、良いことも悪い事も、全部自分に返ってくるということです。
僕が操体を学んで面白いと思ったのは、操体の学びには、魂の学びも肉体の学びもからだの学びとして全てここにあるということでした。操体は奥の深い学びで、学びを通して成長できている自分を感じています。
ありがとうございました。