いのちは快に従い快に向くという自然法則があります。
楽(らく)には、惰性、慢心、努力がみられない、感動がないという印象があります。
しかし、なかなか快が聞き分けられないからだの人はどうしたらいいんでしょう。
そのようなからだをもった人にとって、快が聞き分けられるまでの間、ひとまず楽を通すことは意味のないことではないと思います。
その間にからだは学習を続けてくれていますから、いつの日か快の聞き分けられる日がきっとやってくることでしょう。
あきらめずに続けることが大切だと思います。
鵜原増満